『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』

木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか

木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか


  『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』は、著者である増田俊也の実存をかけた傑作だといっていいだろう。これは自身も柔道家である増田が、心から尊敬してやまない木村政彦、間違いなく史上最強の柔道家であり、史上最強のグラップラーの一人である木村政彦が、格闘家としての格として圧倒的に下である力道山に敗れたことを認め、咀嚼し、魂を削って苦しみ抜いた上で書かれた、まぎれもない大傑作だ。


 木村政彦力道山に敗れたことを認めるのは、本当に苦しかったはずだ。力道山は、プロレスに詳しい人間なら誰も知っていることだが、その人間性はあまりにもクズだ。力道山に最も愛された弟子の一人であるジャイアント馬場が彼を評して、人間としていいところはひとつもない、というほどに、である。その力道山に、木村政彦が敗れたのだ。15年間無敗。天覧試合での優勝。拓殖大を率いての高専柔道大会での優勝。数々の栄光を手にし、他の柔道家との圧倒的な差でもって「史上最強の柔道家」とされ、鬼の木村の異名をとった木村政彦は、たかだか関脇上がりの力道山に敗れたのだ。それは高専柔道を継ぐ七帝柔道出身の増田にとっては受け入れがたいものであったし、あの試合で木村政彦が敗れたのは、力道山が卑怯なブック破りをしたからであり、そうでなければ木村政彦は敗れるはずがない、木村政彦は勝てたはずなのだ、木村政彦は最強だったのだ、ということを、本当は語りたかったのだ。
 しかし、そうではない。単にそこにあるのは、「木村政彦が敗れた」、ただそれだけだ。確かに力道山はブックを破った。卑怯だった。だがそれでも、いや、そうであるとしたら、木村政彦はシュート=真剣勝負に切り替わっったことに気付かなかった、いくら力道山が卑劣漢であったとしても、シュートで負けたのだ。木村政彦は、敗れたのだ。


 本書は、木村政彦の柔道家としての人生、格闘家としての人生を追った本だ。そしてまた、彼の人生を軸に、実に多くのことが語られている。古流柔術高専柔道、武徳会がなぜなくなったのか、ブラジリアン柔術はいかにして成立したか、講道館が認めていない優れた柔道家の存在、などなど。もしかしたら、識者の中にはこれらに疑問を唱える人もいるかもしれない。もちろん間違いがあればそれは訂正されてしかるべきだし、なによりも検証は必要だ。だが、本書の核はそこではない。この本は、日本の格闘技史に一石を投じるものに、結果としてなったにしろ(あるいはならなかったにしろ)、主眼はそこに置かれていない。何度でも繰り返そう。この本は、著者増田俊也が、みずからの魂を削るような作業でもって、木村政彦の敗北を受け入れるために書かれた本なのだ。

 木村政彦は最強だ、力道山が卑劣漢でさえなければ木村が負けるようなことはありえなかった、そう思って増田は取材を始めたのだろう。その思いを確固たるものにするた
めに始めた取材であったはずが、しかしなぜか、取材をすすめる内に、木村は「負けた」のかもしれない、という思いが過ぎったのではないだろうか。徴兵されてからの発揮された木村本来の無邪気な奔放さ、戦後の混乱期の身の振り方、プロ柔道の失敗、海外遠征、愛妻を病から救うためのカネを稼ぐ手段としてのプロレス、そういうもの一つ一つが、木村政彦が負けたあの瞬間へとつながっていく。そして、木村の弟子や関係者への、あの試合のビデオを見せてのインタビューで、それは決定的なものへとなってゆく。

 この原稿は、全て書き上がったものを、連載のために分割し、それを再度、本にするためにひとつにまとめ上げたものである。つまりおそらく、取材をある程度終えた上で、終わりを見据えつつ書き始められた原稿なのだろう。「木村政彦が負けた」という決着に向かって、書き始められたはずだ。それは果てしなく苦しい作業だったはずだ。第28章「木村政彦 VS 力道山」において、その苦しさは、読んでるこちらが辛くなるほどに、感じられる。しかし苦しみ抜いた上で、増田俊也は、その事実を受け入れたのだ。だからこそ、第29章の終わりの一文、プロローグと繋がるその一文の美しさが際立つ。なんという事のない一文だ。だが、とても美しいのだ。木村政彦の失意、苦しみ、そういうものを増田が共感し、そしてその先に見つけた希望としての一文。ここには打ち震えるほどの何かがある。


 そこから最後までは、木村の復讐の念と、それが果たされない失意、無念さと、岩釣兼生に託した希望とが入り混じった、木村の「余生」が描かれている。まだこの時点で50歳にもならない木村だが、これを余生と言わずして、なんと言おう。希望を持ち、自分を慕ってくれる学生たちに囲まれながらも、しかし哀しくつらい余生を送った木村政彦は、柔道界、格闘技界からもあまり顧みられることなく、その生涯を閉じた。


 これは木村政彦の物語であると同時に、著者増田俊也の物語でもある。二人分の苦しみや哀しみ、つらさが詰まった物語である。著者が木村の敗北を受け入れるために必要だった準備は、そのままこの本の厚みとなっている。だからこそ、この本は美しい。素晴らしい。大傑作だ。この本を読むことができて、よかった。受け入れ難い何かを受け入れる、そして受け入れた上で、悔しさを滲ませながら次へ進もうとしている。普段、感想文なんてめったに書かないぼくに、これだけ書かせるのだ。人にそれだけ訴えかけるのだ。木村政彦は、本当に偉大だ。そして増田俊也も、本当に偉大な作家なのだ。(かつとんたろう)