『蛙鳴』莫言 ―中国の「市民」小説―

蛙鳴(あめい)

蛙鳴(あめい)

 これはある種の市民小説的な作品だ。トーマス・マン『ブッデンブローク家の人びと』、北杜夫『楡家の人びと』、ガルシア=マルケス百年の孤独』、そのような作品群に連なる、素晴らしい小説である。マンがドイツの、北が日本の、そしてガルシア=マルケスが南米の、古い時代と新しい時代との狭間に生まれた人間たちが、その流れに翻弄されながらも必死で生き、また死んでゆく様を、冷静に、優しく描いているようにして、莫言が中国の人々を描いたのが、この『蛙鳴』だ。



 マンや北が、自身と家族たちをモデルとしたのと同じく、莫言も自らをモデルとし、さらにその物語を日本の文学者へ向けた手紙として、この小説は書かれている。莫言は1955年生まれであるので、おそらくこの小説の主人公、万足も同じ頃の生まれだとされているのだろう。一人っ子政策がはじまった1979年からの数年間を中核とし、物語は進む。労働力の確保、あるいは跡継ぎの確保のために、文革期を含め、子供は産めや増やせやとばかりに大勢生まれ、主人公の叔母――村のみならず周辺一帯に評判を鳴り響かせる産婦人科医――は子供らを取り上げるのに東奔西走する。ところが一人っ子政策が始まると、共産党の党員の叔母は計画出産の委員となって、二人目以降の子供をはらんだ女たちを堕胎させる役割を担うことになる。王足の妻も、堕胎させられる女の一人だった。


 前半部のあらすじは、ざっとこのようなものなのだが、この小説が先に挙げた三作品と異なるのは、地の文が一人称である点だ。上記の三作と同じように、その村の人間たちのさまざま感情が細やかに描かれているのだが、三人称のそのような小説がどうしても空からの視点、俯瞰するような視点であるのに対し*1莫言が作中に登場する人物たちを見つめ、描き出す目は大地に張り付いており、彼ら登場人物と同じ地平から世界を見渡している。描かれる人々の悲哀を同じ地平から見つめ、同じようにして「私」の悲哀を語っているのだ。

 
 なぜ莫言は、語り手=一人称の人物をこの「市民」小説的な小説に登場させたのか。それはおそらく、彼がマンや北、マルケスなどよりも、小説と現在とに強いつながりを感じているからではないだろうか。


 そもそも「市民小説」と一般に言われる『ブッデンブローク家の人びと』や『楡家の人びと』は、年代記のような性格を併せ持っている。そしてそのような小説を書くには、その一家を、まるごとひっくるめて見ることができるような大きな目、大きな存在を必要とする。どこにも偏らず、すべてを見通す大きな目のみが、その年代記をひとつの物語として語りうるのだが、莫言はそうはしなかった。彼は、過去に起こった現実の出来事、年代記のパーツのひとつひとつに対し、客観的に相対することを自らに許していない。


 大局的で合理的な、共産党からの近代的配慮の賜物たる「一人っ子政策」は、ただの一農民、近代的市民ではない農民たちに苦悩を強い、抵抗させ、みじめにさせてきた。そのような農民たちの傷が、いまだ癒えることなく、澱のように溜まっている中国の現状があるからこそ、その澱は作者の分身がその現場にいることで、はじめて描き出すことができたのだろう。その意味でこの小説は、日本のある種の私小説がそうであるように、いまだに決着していない作者の中の問題を、決着していないままに、しかしそれでも前に進むために書かれた小説だとも言えるはずだ。


 そしてまた、その一人称によって描かれたことによってこの小説は大地に根付くものとなった。その意味で、上記三作の中でこれに最も近いのは『百年の孤独』だろう。方法論こそ違え、土地によって生かされ、土地によって呪縛され、子供が生まれ、跡継ぎを作っていこうとする「家」がそのような中で続いてゆく物語として、『蛙声』は、真に『百年の孤独』の後継であると言えるはずだ。『百年の孤独』は、時間と空間を軽々と飛び越えてゆく視点によって大地に生きる人間を描き、『蛙鳴』はそれこそ、作者≒主人公そのものが地べたを這うことで、同じく地べたを這う人間たちを追っていった。


 中国においての革命は、毛沢東に言わせれば、都市の労働者ではなく、土地の農民の手によって行われるべきものだ、ということになるらしい。そうであるならば、農民が都市労働者というものを経ずに近代的な「市民」になりえたのか、それもこの小説の主題のひとつであるはずだ。ゆえに、共産党が中国の覇権を握って以降の農民たちが、時代や党と対峙する群像劇的な小説は、そのまま「市民」小説であるべきなのであり、その市民小説は『百年の孤独』と同じように、これまで世界中*2で描かれてきた近代的市民とは全く異なる、新しい「中国の」市民小説として、あるはずなのだ。(かつとんたろう)

*1:『楡家の人びと』冒頭、伊助が飯を炊いているシーンなどは、俯瞰的な視点の小説が描きうる、最も素晴らしい情景のひとつだろう

*2:つまり欧米や「先進国」の中