文学フリマin大阪

 文学フリマin大阪では、ついに待望の新作が登場!

 その名も

 宮内悠介トリビュート!
 前回は期待させてすみませんでした。作家宮内悠介氏のトリビュート同人雑誌です。少部数ですが、市川真人*宮内悠介による麻雀バトルに、以前に書いていた未発表作品などを始め、安倉儀たたたも『盤上の夜』論を書いています。
 宮内悠介『盤上の夜』ファンにはたまらない一冊になること、間違いなし!

盤上の夜 (創元日本SF叢書)

盤上の夜 (創元日本SF叢書)

不定形な境界 ―アノニマス・ライフ 名を明かさない生命―


  • コンセプト

 NTTインターコミュニケーション・センター(通称ICC)は、日本では珍しいインタラクション・アート専門の美術館である。近美や国博といった、いわゆる「二文字の美術館」に比べると、知る人ぞ知る……という感じもある怪しげな、わかりにくい場所にある展示スペースなのだが、世界最先端の技術と知性とセンスによって織りなされる新しい芸術の形を提案し続けていて、いまなおアートの最前線にある美術館であると言ってもよい。

 今回取り上げる企画展は「アノニマス・ライフ―名を明かさない生命―」だ。
 アノニマス(anonymous)。名前のわからない、個性のないものを示す。今回の展示は、その原義に「まだ名付けられていない」という含意を見つけ出して、新しいテクノロジーと生命との関係を模索するというコンセプトで開催した。
 日本では匿名のハッカーの群体、2chやニコ動の謎の「声たち」がふらりと脳裏に浮かんだりするが、それらはたぶん無名(anknown\noname)であり、まだ名付けられてはいない、ということではないということなのだろう。ここで「アノニマス」とつけたセンスの良さと問題意識の先鋭さはさすがはICCといったところである。
 

  • 内容

 しかし、今回の展示はそれらのコンセプトを十全に満たしていたとはいいがたい。スペースのサイズの問題もあったが、展示は全体的に「テクノロジー」に寄りすぎて、ともすれば技術博覧会の様相を感じた。そして、コンセプトとややミスマッチに思える展示もあった……あるいは牽強付会な理由付けか。それは扱う問題意識の広さによるものだったのだろうが、展示の方向性を散漫したことは間違いない。
 たとえば石黒浩と斎藤達也の「米朝アンドロイド」(完成度は微妙)にせよ、渡辺豪の高精細CGによる「オルラン」にせよ、それらは名付け得ない生命の可能性というよりも、それらが「生命」と誤認されてしまうのはなぜか、つまり人間そっくりに見えてしまうのはなぜかを問う作品で別段「名付けられていない生命」として配置した理由とはそぐわないように感じた。
 高嶺格の「Ask for a Trade」は目的地にいくまでの間に、服を物々交換し、その場で着替えていくという不思議なビデオ作品。これもまた生命についての思索というよりも、人の生き方に関する提案というように見えた。これらの展示は展示のリード文にいう「機械と人間をわかつ自明であったはずの「生」の意味を問い直すとともに、(中略)私たちの社会の中に偏在する多様なゆらぎ、境界、そしてその侵犯をめぐる作品」として提唱するべきものだったのかどうか。
 そうはいっても個別の展示は見応え抜群で、オルランの「これが私の身体……、これが私のソフトウェア……」は美容整形の順序を追う作品で、手術によって「肉を移動させる」刺激的な写真がならぶ(何度もこの展示には刺激的な写真があります、と注意された)。全部一四枚の写真のうち八枚が展示されていたが、オルランが身体を「ソフトウェア」と見なす身体のあり方は、その写真とともに直接鑑賞者を動揺させる。
 「スプツニ子!」は、女装男子がテクノロジーでより「女子」へと近づこうとする2つのビデオ作品とインスタレーション。単純にスペース的、質感的にもっとも見応えがあった展示だけれど……うん、でも僕にはよくわかんなかったよ……。ごめんよ……。またいつか何か俎上にのせて考えてみたいので今回は略。
 
 個人的にもっとも見どころがあったのは、毛利悠子の「fort-da」は、この展示のために作られた新作。しめ縄やアコーディオンが輪切りになった白樺の回転によって移動したり音を奏でたりする優しい工作である。木製を基盤とするそれは、名付け得ない生命性というよりも、なんとなく言葉にならない心優しさを感じる、すてきに意味不明で多幸感あふれる展示であったが、これらの「名付けられなさ」はコンセプトとした先鋭性とは異なり、懐かしい図画工作の素朴さを感じた。
 「アノニマス・ライフ」展では、このようにコンセプトを忠実に守るではなく、多様な生命のあり方を提案するような展示にしたことで、各作品が持つポテンシャルを分散化させてしまったように思われる。

  • 魅力を見つけ出す。

 そうした中で、魅力の再発見となったのが「やなぎみわ」の2つの写真だ。1997年の作品に新しい光を与えられてより一層魅力的に思えるようになった。無機質な空間に、無個性な女性的な存在を配置するエレベーターガールシリーズを制作しはじめた時期にあたる作品は、たしかにいまだに「名付け得ない」何者かを指し示していたのだろう。やなぎみわが写真の中で扱ったテーマは、匿名性、無名性、ジェンダー、エイジング、暴力……それらを統合していく概念はまだ提唱されていなかったのではないか? このような光のあて方として「アノニマス」であるという評価は新しい可能性を開くかもしれない、と感じたが、ではそれはなんと名付ければよいのだろう?

 他に、ホームページやチラシには見えないが、サイレント映画メトロポリス」で人造人間が生まれるシーンの放映や、義足のアスリートのビデオ、グロテスクな中世の版画なども展示されていた。むしろそのような物にこそ「名付け得ない/名付けられなかった」生命の可能性を見たのは、僕だけだったのだろうか。

 昨年11月から3月3日までの開催です。




開催要旨(ICC ONLINEより)
http://www.ntticc.or.jp/Press/2012/9/0928_01_j.html

アノニマス・ライフ 名を明かさない生命
会期:2012年11月17日(土)―2013年3月3日(日)
会場:NTTインターコミュニケーション・センター [ICC] ギャラリーA

  • 開催概要

会期:2012年11月17日(土)―2013年3月3日(日)
会場:NTTインターコミュニケーション・センター [ICC] ギャラリーA
開館時間:午前11時―午後6時(入館は閉館の30分前まで)
休館日:月曜日(月曜が祝日の場合翌日),年末年始(12/28―1/4),保守点検日(2/10)
入場料:一般・大学生500円(400円)/高校生以下無料 ※()内は15名様以上の団体料金
主催:NTTインターコミュニケーション・センター [ICC]
住所:〒163-1404 東京都新宿区西新宿3-20-2 東京オペラシティタワー4階
   京王新線初台駅東口から徒歩2分
お問い合わせ:フリーダイヤル 0120-144199
E-mail:query@ntticc.or.jp
URL:http://www.ntticc.or.jp/

展示概要

匿名の,名前のわからない,個性のないもの.アノニマス(anonymous)とは,そのような意味を持っています.ギリシア語の接頭辞an-(〜なしの)にonyma(名前)が組み合わされて,「名前がない」を意味しますが,展覧会の作品はそれぞれに題名がつけられていて,名前がないわけではありません.では,「名前がない」とは一体どういうことを意味するのでしょうか.
 例えば,ロボット工学の一部では,テクノロジーの発達に後押しされ,「機械の生命」を作り出そうとしています.しかし,その成果物の多くは,私たちがSFなどに夢見る理想的なアンドロイドからすれば完全なものとは言えず,それはアンドロイドと呼ばれるひとつ手前の存在,名づけえぬ何ものかなのです.また,遺伝子操作に代表されるバイオ・テクノロジーやクローン技術などの生殖医療技術の急速な発達は,私たちがその本質を理解するよりも早く,名づけることのできない,もうひとつの「生」のあり方を現実のものとしてきました.
 この展覧会では,そのような名づけることのできない生命,本当の名を明かしていないものたち,「アノニマス・ライフ」ということばを手がかりに,機械と人間を分かつ自明であったはずの「生」の意味を問い直すとともに,テクノロジーの進歩が新たな光を当てたセクシュアリティアイデンティティの問題をはじめ,私たちの社会の中に遍在する多様なゆらぎ,境界,そしてその侵犯をめぐる作品を紹介します.

連載、はじめました。

安倉儀たたたさんが、年の瀬にNETOKARUで連載を始めました。


 同人音楽・音系同人に携わる人たちのインタビューを中心に、音系同人の文化を知ってもらおうという企画です。ご興味があるかたは読んでいただけると幸いです。


 なお、第一回で紹介している本ですが、下の三冊の内、最後の一冊『同人音楽制作ガイド』はDTMの使い方なんでどうなん?という説もありますが、DTM同人音楽にほぼ必須という状況になっているので、とりあえず音楽を作ってみたい人は読んでおいても損はないだろうという判断です。

 本連載では、なによりも一人一人の作り手や才能あふれるアーティストを知ってもらおう! ということよりも「同人音楽」というカルチャーの楽しさや喜び、意義や問題点などを「まるっと」知ってもらうことを目的としています。ひいてはそれが「同人」や「ワナビー」への蔑視を少しでも減らすことができると信じて。

 なお、以前にメルマガクリルタイ同人音楽について書いたこともあるので興味が在る方はそちらもご参照ください。id:chikumaonlineで書いた過去記事から、僕は「同人音楽」ではなくて「音系同人」ってゆってるんですねぇ。

  • M3にいこう! 〜音系の祭典で〜

http://blog.livedoor.jp/chikumaonline/archives/53134560.html

とりあえず四月までは続けると思いますこの企画どうぞよろしく、おねがい申し上げます!!!

ヒーローは必ず期待に答えるが、それを裏切ることはしない。 

Halo 4 (通常版) - Xbox360

Halo 4 (通常版) - Xbox360

全世界1100万本を売上げた『HALO3』\をもって第一期HALOシリーズ「オリジナル・トリロジー」は幕を閉じた。世界中のFPSファンを熱狂させたヒーロー「マスターチーフ」が冷凍睡眠につき、制作スタッフから「続編の構想はない」と告げられてから五年後、新たなる三部作『リクレイマー・トリロジー』シリーズの第一作目として『HALO4』が姿を表した。それまでも『HALO WARS』『HALO REACH』や、頓挫したものなぜか『第九都市』となった映画計画などヘイローをめぐるプロジェクトは延々と続いていたわけであるが、ナンバリングタイトルとしてマスターチーフが復活することはヘイローファンならずともゲーム好きなら興味がひかれることではある。
 『HALO4』では開発をバンジースタジオから343Industresに移行させ、ほぼ完全新作として制作された。小説やコミックなどの世界も忠実に引き継いだ制作は丁寧の一言である。ユーザーメタスコアで90点を叩きだし、発売前からあらゆるメディアで最高評価を獲得した本作は、ありとあらゆる意味で最強のビッグコンテンツ―超大作として生み出されることを宿命付けられていたといっていい。新たなるサーガへと踏み出したマスターチーフはその宿命を淡々と受け入れるヒーローとして再びディスプレイに現れることになったのだ。

 その評判に答える程度に出来はいい。HALOシリーズに踏襲されたやたらと難しいキャンペーンモード(難易度は調整できるが)、すぐれたゲームバランスをもつマルチオンライン。好きなマップが作れるフォージ。完全新作にもかかわらず武装や世界観はほぼ前作を踏襲しているが、プロメシアンの武器系統が登場してゲームバランスそのものは前作よりも優れたものになっており、チート的な強さをもった武器のバランスも前作よりもよいように感じる。
特に、マルチプレイヤーのゲームバランスはかなり上昇したように感じる。乗り物の装甲も弱体化して撃破をとりやすくなったと同時に、ゴーストやレイスに加えて重火力兵装特価のマンティスの登場で後方支援から火力統制まで、各員が互いに言語で連絡をとれずども戦線維持の戦略が共有されやすくなったが、ゲームスピードというよりも、戦場の展開はかなり速いため「硬直」した戦線に退屈することもない。シールド+ライフというHP設定は、たとえば「CoD」シリーズのように、出会い頭の瞬殺戦が中心となるゲームと違って、撃ち合いが苦手な人でも一定の戦術を練ることができるようになっている。
 なによりもバトルライフルが復活したことによって短・長距離戦における緊張感がました。かなりの広範囲に高速で段幕をはるサプレッサーなどの武器もあって、下手なプレイヤーでもマルチプレイヤーなりキャンペーンなりを一応楽しめる程度に調整されている。若干、マップの作りが悪いように感じるが、不定期に配信されるスパルタンオプスも続きが気になる見事なシナリオ編成だ。

 逆説的に聞こえるかもしれないが、だからこそ、HALO4は妙に退屈なゲームになってしまったともいえる。期待通りの面白さをもってしまったがゆえに、期待を裏切るほどの衝撃は『HALO4』のどこにもない。一発逆転の奇手もないわけではない、ゲームを冗漫にする「死んだ」要素はほとんどなく、かわりに、アナーキーでハイテンションにさせるような不可解で暴力的な何かはなにもかも、なくなってしまった。
 武器は淡々と武器であり、敵はたんたんとしてやられる。やられる時は淡々とやらる。マスターチーフはその淡々とした無感情なキャラクターと同じだけ、淡々としたゲームは『HALO4』をゲームとして完成させた。
 この淡々とした面白くなさ(おもしろさ)は、この『HALO4』が「2012年もっとも面白かったゲーム」にも「2012年もっとも面白くなかったゲーム」にも両方にノミネートされていることに象徴的だ。記事中ではキャンペーンのご都合主義とマルチプレイヤーのおもしろさといった観点に注意されているが、むしろこれは「マスターチーフ」というヒーローをめぐるマンネリ化の問題として考えることもできる。一応シナリオ仕立てがあるマルチプレイヤーにおいて、キャラクターアイコンは「一介のスパルタン4」に過ぎないが、HALOシリーズを通じて最強を宿命づけられたマスターチーフは、自分自身がどれだけ矮小な存在であろうとも(一度でもゲームをプレイしたことがある者は誰でもわかると思うが、マスターチーフは実によく死ぬ)、最終的にはご都合主義であろうとなんであろうと「勝利」しなければならないのだ。この約束された勝利に「うんざり」しているプレイヤーたちにとって、HALOは未来の人類のシビアな現実を描いているとしても、それはファンタジーの領域にとどまり続ける。このファンタジーを守り続けること、それが343Industriesに期待されたものだったはずだ。
 新サーガの序章である本作には、従来のHALOシリーズのファンもいるだろう。新しくはじめるものもいるだろう。だが、どちらにせよ売れることは約束されている。そこには「期待された通りのおもしろさ」が求められた分だけ、期待を裏ぎる暴力的な冒険は許されなかったのである。それが『HALO5』『HALO6』において、継承されるのか、捨てられるのかはわからないのだが、当分は『HALO4』で遊んでいれば問題ない。(安倉儀たたた)

NETOKARUデビュー!

たたにゃんこと安倉儀たたたさんがあれですね。いま話題のインターネットマガジン「NETOKARU」に記事を書きましたよ。



第十五回文学フリマでチェックした作品たち 〜安倉儀たたた〜
http://netokaru.com/?p=15694


第十五回文学フリマで買った本です。ストレートな批評と創作を取り上げました。


  • ●フミカレコーズ『フミカ』  
  • 西瓜鯨油社『南武枝線』 
  • ●流星ハートビート 『流星物質2』/『名作文学を忍殺語に翻訳してみた・スゴイ・簡易版』
  • ●Cult Trash『Chrome Exhaust―Black Russian―』/『Chrome Exhaust―REGNITION―』


の、四作品を取り上げてます。お隣は「ことのは」の松永さんが書いています。