孤児の行く末

そろそろ、僕達とカトリ企画との演劇と文学とその他もろもろな雑誌『BOLLARD』の告知もしたいんだけど多忙で多忙で、それから少し体を壊してしまっていたりして、たぶん今日のエントリか、明日のエントリで文学フリマの話と一緒になんやかんや言うと思います。

で、数日前(ここ数日家から出てないもので)本屋にいったときに「おあ?」と小さく声を上げてみたのは、元々は富士見ファンタジア文庫から出ていた秋田禎信魔術士オーフェン』シリーズの新装版がでるとゆう話と、それからその続編がでていたという驚愕の事実にびっくりしたからでした。
 まぁ、オーフェンの話をしても、20代後半以降じゃないといろいろよくわかんないと思いますが(アニメも実にコケてしまいましたし、そもそもラノベ発のアニメがヒットするようになるのはゼロ年代をまたないといけないわけで)、再販とか新装版をわざわざ出してくれるということがおどろきな作品だったというわけです。
 あ、もちろん、この作品は秋田禎信BOXという豪華本! でも出されていたわけなので、実に「新刊」といういうにはちょっと抵抗があるわけですが。

 
 とはいうものの、個人的には非常に深い思い入れがあって、その個人的な思い入れはいちいちここで言わなくてもいいだろうから言わないにせよ、『オーフェン』が90年代的なかっこよさを十全に背負っていたことはいうまでもないでしょう。モグリの金貸しで最強の魔術師。今思えば実に中2的なかんじですが、それに人生の敗残者でもあり、また迷える子羊でもあったオーフェンの生き様は長編20巻(ぐらいでしたっけ)のボリュームに耐えうるものだったのなぁと思いますね。

 秋田禎信ラノベ作家出身ながら、一般文芸も数冊、就活本みたいなテーマで書いている作家です。とはいえ、個人的には一般文芸のほうで書いた作品はそれほど面白いとは感じられずに(軽妙なコメディとしては十分読めますが)、やっぱりオーフェンや『エンジェル・ハウリング』といった骨太なファンタジーが本領だと思っています。秋田文体と呼ばれる、当時から洗練された三人称のリズミカルで変則的な語彙の選びかた、スピード感あふれる文章力は、その純然たる継承者こそ現れなかったように思いますが、いまの若い作家たちにもあれこれと影響を与えているのか、どーなのか。
  
 三人称でファンタジーを描くことは、例えば人智を絶する〈出来事〉を一人称の、個人的な感想に落としこむことなく、そのスケールのままで描けるという強みがあったように思います。『エンジェル・ハウリング』の最終巻の、一息に黒衣の軍勢が踏み潰されるあの瞬間とか(言ってもわかりませんが)、いまだに日本フェンタジー史上に残る名場面だと思います。

 ずっと昔に、柄谷行人が「日本文学の終わり」でしたっけ。近代文学的なあれこれはもう終わっちゃうよという話をしたときに、村上春樹を引き合いに出して一人称の記述が中心になっていくよ。これからは三人称では書けないよ。みたいなことを行っていたときに、一番最初に頭に浮かべていたのが、この『オーフェン』のシリーズでした。しばし続刊するみたいなので、ノスタルジーと言われながらも、これからも買っていくんでしょうね。