同人について散漫的なあれこれ。

 ブックマークをつけてくれた方が、「即売会の魅力はライブ感かな」と書いてくださいました。うーんなるほどライブ感は大きいと思います。実際に著者がいて、実際にその人が本を売っていることの衝撃みたいなもの。
 例えばUMA−SHIKAというサークルがあります。はてなダイアリーの有名ブロガー(アルファブロガーといいましょうあえて)たちのサークルです。ブログ上でしかみていなかった、彼らがっ! と思って買う人も多かったでしょうし、「リトルメジャー」*1。しかし、この著者に対するアウラという点で、同人文芸は視覚的メディアに対して比較的弱いかもしれません。M3であれば、哥ってみたの歌い手たちが、あるいは○○Pといわれるボーカロイドの作曲者たちが現れます。そのアウラたるや……ってこれはただたんに隣の芝生が青いだけですねぇ。
 ただ、某ブログに「文学フリマで『この世の不幸をすべて背負ったような顔をしてうつむいている女性』がいて、あまりにも雰囲気が悪く『もう二度とイカネ』」というようなことを書いておられた方がいるより、文学フリマもコミュニティの固定化が進んでいるので、ブースの作り方や本の形態が目をひくところはともかく、一人でやられているサークルさんの中には、孤立感を感じてしまうところがあるかもしれません。*2。あえてコミュニティから遠ざかる人もいるでしょうが、中には不本意にこれもどうにかしなきゃなーって思っているのですが、僕には飲み会でも開くか! ぐらいしか思いつきません。どうでしょうねwwwどうですか?www飲み会とかwwww

 えっと、何の話だっけ。そうそう、ブクマコメントの話でした。ライブ感を感じるのは、やはりそれが「そこで何かが行われている」という雰囲気に同期できるかどうかが大きいと思うのです。最近身銭を切ってあちこちの劇団を梯子していますが、脚本や演出という単位でみると微妙な作品も、会場との一体感のようなものがあるだけで、けっこう普通に楽しかったなという感じを覚えることがあります。それに失敗すると「寒い」ということになるのですが、バナナ学園とかはやっぱすげえなぁと。人が目の前にいて何かをする、何かの営為を行う……。この当たり前の行為は、僕たちが思っている以上に人を引きつけるのかもしれません。
 そういえば、今回の文学フリマではジュールベルヌ研究会さんが講演会を企画していましたね。面白いことになりそうです。これ目当てで文フリにいってもいいぐらいです。
http://julesverne.jpn.org/talkevent/

 ただ、某人と文学フリマだけではなく、リトルプレスや同人文芸からプロのかきて、あるいは固有名詞として通用する書き手が生まれてほしいと思うという話をしました。
 これは同人誌即売会を『表現の場所』ではなくプロへの登竜門だと規定し、その理念によって運営する人達もいる、という即売会をめぐる観点からも難しい問題だと思っています。同人に対する、ぬるま湯/内輪ネタという非難は、構造上的を射たものにならざるを得ないけれど、それは否定されるべきものではありません。淘汰の激しい、厳しい環境を続けていった先で、はたして同人という文化であり続けることができるのでしょうか。そんなことも考えます。っていうか、これはむしろ以下のブログを読んで思いついたことなのですが、そのいっぽうでこれら全ては「文学が面白い」という人達がふえればすべて解決するような気もしています。
 今日は恐ろしく散漫なエントリになりましたが、許してください。もう眠いよパトラッシュ。……と書いたのが昨日の今の時間ぐらいでしょうか。今は12日で、帰宅してちょっと加筆訂正をしました。
 http://funuke01.cocolog-nifty.com/blog/2008/09/post-7c28.html

*1:イベント規模は小さいが、有名どころが参戦しやすい環境。ビッグマイナーに対置して使う。最初に言ったのは文学フリマ事務局の望月さん。

*2:これはコミティアのほうが実は深刻らしいです。