本当はこの文章系同人がすごい(仮称)に参加します。参加しますがー。

 こんにちは。

 織姫オペラシアターのあかみさんから、『CAILLINAD』のDVDとボイスドラマ一式送っていただいたり、某批評家の卵と宅のみしたり、人生初のパチスロで大金をスったりして慌しくしておりました。かくいう現在もあと二ヶ月ちょいで修士論文を書き上げないといけなかったり、風邪引いたり腰痛かったりでもう大変なのですが、いくつか書いておかねばならねーことについて書いておきます。

「本当は、この文章系同人がすごい」について

表題の件なのですが、文学フリマ事務局通信および、文フリ界隈のいくつかのサークルに告知されているとおり、「本当はこの文章系同人がすごい(仮称)」という企画が動いておるようです。

 それで、私、安倉義たたたも参加いたします。ええ。参加いたします。


 ただ、参加するに当たって、僕がどのようなスタンスにおいて参加するのかははっきり述べておく必要は感じています。なぜならば、僕は今回寄稿する原稿は、かなり「身内びいき」か「ぜんぜん文芸同人じゃないしサークルですらない」ものについて書くからです。



 当企画は、基本的に「感想の交流」を目指すものと僕は理解しています。この企画の目的に対しては大いに賛同します。
 その目的は、レビューやアンケートを積み重ねていくことで、一定の成果を上げられるでしょうし、いままで無かったことが不自然であったと感じる人達もいたことと思います。
 たとえば、創作オンリーイベントコミティア」には、『ティアズマガジン』というサークル情報誌があります。事実上の入場料として一般来場者の多くがそれを購入するのですが、『ティアズマガジン』には一般から募集されたサークル紹介のコーナーがあります。そこに取り上げられたサークルにはコメントと、前回出場時のブース番号、今回の参加ブース番号の両方が示されています(出場していない場合には、――になっていたと記憶しています)。まさに、裏*1サークルカタログ! そういうものが文フリにあったらいいなーというのはずっと思っていました。
 


 コミティアほどの規模(1000サークルを優に超える)になれば、当然全てのサークルに目を通す人、なんていないわけです。サークル全てを知っている人はいるかもしれませんけれど、多くのサークルは、相互も交流も限定的なものになりがちです。「ジャンル」や「カテゴリ」の壁は――それがどのような区分になるにせよ、文フリとは比べ物にならないほど厚いものにならざるをえません。 そういう状況下において、『ティアズマガジン』のサークル紹介は、ほぼ唯一の(という言い方は正確ではないのでマズいのですが)コミティア全体を見通すレビュー誌となっています。
 
  
 ただし、レビューにもアンケートにも、感想をブログに書くことだって、そこにはさまざまな力関係やバイアスが発生します。もちろん、それでいいんですよ。レビューとはそういうものですから。ただ、そのレビューがサークル/作品単位でなされると、そこにはいやおう無く人的な関係が発生したり、あるいはすでに人脈がある「から」レビューを書くということもあると思うのです。そして、知人や知り合いが書いているものについてのレビューのほうが、なんだかクオリティが高いんじゃないかと思うわけです。作品の良し悪しだけでレビューを蓄積していけば、強いバイアスばかかった作品評価が横行します。amazonのコピペレビューがいい例ですが、相手のコンテクストを把握した上でレビューを書くならばどうしても「同じジャンル」か「趣味が合うか」「こいつはすごい」と思うか「お友達になってみたい」と思うか、ってなると、狭い同人業界。大体「知り合い」になってしまうんじゃないかしら。
 
 もちろん、ほかの多くのレビュアーは自分の観点から作品を評価するでしょうし、おそらくそうした蓄積もあれば面白いことになるでしょう。


 ただし、レビューやアンケートの蓄積が、井伏氏のいう「公共性」の成立まで行くとなれば話は別です――あくまでも僕個人の考えとして聞いてほしいのですが――レビューやアンケートの蓄積はイベントやジャンルの全体性を担保しません。なぜならば、サークル/作品単位でのレビューの場合は、どうしても「文学フリマに一度は参加しているor何か作ったことのある」サークルにしか言及できないからです。
 この裏サークルカタログにどのような権威が付与するのか(しないのか)わかりませんが、初めて参加する/初めてコンテンツを作るサークルへの注目度が下がれば、それは悲しい事態を招くでしょう。文学フリマの「公共性」が、既得権益者(と初参加のサークルから見えるかもしんないほかのサークル)の評価によって作られてしまっては意味がないのです。また、文学フリマの中でこの企画に賛同しない人も、そもそも企画について知らない人もたくさんいるでしょう。
 もちろん、初参加のサークルについてもカバーしたりフォローしたりはした方がよいと思いますし、僕も可能なかぎりサーベイしていくつもりではあります。この企画には動画配信やツイッターとの連動も含まれているようですから、そちらに期待します。期待しますが、ウェブサイトやブログなどの情報だけを元手にレビューを書くとすれば、それはもう「レビュー」ではなく提灯記事になってしまうわけです。そうすると、手に持っていて、自分のクオリティでかけそうなものだけを書く。これが最低限の誠実な、レビュアーに求められる態度だろう、と僕は考えます。
 
 僕が身内びいきな書き方をする理由は以上なのですが、別の方向にいえば「同人文化*2の中で文章系とはどういうニッチを占めるのか/占めうるのか」という問題意識から、普通に文学フリマではお目にかかれないサークルについて言及する予定です。
 
 また、「この企画に賛同しない」という決断をした人達もふくめての文学フリマだ、ということはレビューを書く人達にも心のどこかに留めておいてほしいことです。



 こんなのこと書いちゃまずいのかもしれあないけれど、同人文芸はジャンル間の交流がいうほど活発ではありませんし、儀礼的無関心差別意識も横行しています。一時期、さまざまなブログやサークルで問題になった「文学フリマの価値」問題とも絡むのですが、僕は文学フリマを、人的な交流を通じてジャンルやカテゴリの嫌悪感をなくしていける場所であったらいいと思います。もちろん、他では買えないさまざまな本との出会いもあるでしょう。でも、わざわざ蒲田までやってきてみんなで五時間ほどワイワイやらかすなら、そこには人と人とが出会う場所としてあればいいなと思っています。
 そういうコミュニティの開放さが「本を読みたい」とか「本を作ってみたい」とか「何か書いてみたい。文学フリマにでてみたい。」という人を増やしていければもっといいなーと思うわけであります。

 ……事態はそんなに単純じゃないってところが、すごいんですけれど。

 最後に――くどくなりますが、このエントリは「本当はこの文章系同人がすごい(仮称)」を非難する目的で書いたわけではありません。文学フリマの公式ブログにも取り上げられたことの影響力もかんがみて、私がどのようなスタンスで当該企画に参加するかについて述べたものです。

 ともあれ、文学フリマの〆切まであと三日間となりました。今年も楽しくなるといいですね。では、蒲田であいませう。

*1:てか思いっきり表ですよね。

*2:この範疇化は不適切なのですが、より適切な範疇化を行うには別にどこかでこの問題を論じておく必要があるでしょう。