B級アイドルと匿名のファンたち。
超いまさら感が溢れまくってますが、「キサラギ」の映画版を見ました。小栗旬をかっこいいと思った僕とかは認めたくないけれど、よかったです。
これは絶対演劇向け! と思い舞台情報をチェックしたところ、やっぱりやってましたね。もう全日程終わってました。舞台のDVDとかもっと出るべきだと個人的に思いますが、いかがですかね。
- 出版社/メーカー: キングレコード
- 発売日: 2008/01/09
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謎の自殺を遂げたB級アイドル「如月ミキ」の一年忌の日に、如月ミキのネット掲示板で知り合ったファン六人が如月ミキの死を悼むパーティ(オフ会)を開催するですが、そこで如月ミキの死の謎についての謎解きが始まります。
話が進むにつれて情報がふえ、それらが統合されることで真実が明らかになっていく*1。この密室推理劇のなかで、「如月ミキ」は不在であるが故にもっとも強力な存在感を発するものとして現れてきます。彼らは如月ミキ語り合うけれども、如月ミキそのものはもうこの世にそして舞台上に存在しません。
推理が進むにつれて、参加メンバーのほとんどが「如月ミキ」の家族か恋人かマネージャーか、とにかく近親者であることが明らかになっていきます。如月ミキは「歌も芝居もできない」上に、「チャームポイントの二重まぶたもプチ整形」というアイドルです。何が彼らをファンにさせたのか、見ている者には最後までよくわからない。ファンレターを守るために命をかけていたことが明らかになったくだりでは感動をさそうけれど、アイドルとしての魅力は決定的にかけていると判断せざるを得ない。だからこそ、如月ミキの純粋なファンは、六人のうち一人しかいない。多くの如月ファンが純粋なアイドルのファンとは異なった関係に依存する形での「ファン」であることはとても示唆的です。
推理劇というフレームをはずすと『キサラギ』は「ファン同士の交流」が「如月ミキに親しいたちの交流」に摩り替わるという物語構造を持っていることになります。本来は匿名的で相互の関係性はないはずの「ファン」というカテゴリが如月ミキの近親者たちのカテゴリと一致する。そしてこのオフ会で全員の固有名詞=非匿名性が奪われてしまう。……つまり、段々「ファン」であることの意味がなくなっていってしまうわけです。
ですが、推理劇がひと段落した後、一番最後にアイドルファンらしく、全員で踊ることでみなが「如月ミキのファンとしての関係性」に立ち戻ることができる。という仕掛けになっています。つまり、アイドルは、アイドルとファンとの関係にいるのではなく、また一個人としての親しい関係性の中にでもなく、「ファンとファンとの関係」の間に《こそ》アイドルは存在することを確認する。この関係性の確認をめぐる壮大な作業がこの映画の推理劇であったともいえるのでしょう。
この仕掛けこそが「如月ミキ」をB級アイドルとして設定した脚本家の面目躍如でしょう。
古沢良太の脚本でもともとはある劇団のために書き下ろしたもの、らしいのですが詳しくは不明。
*1:実はそうならないところがこの作品のミソなのですが。