はじめに。

id:kugyo殿へ(以下kugyoと略させていただきます)
 数週間ほど前にお約束したとおり、こちらであなたへの返信めいた物を書かせてもらおうと思います。
 貴殿のブログで、kugyoが展開した僕への批判と応答はかなりの広域にわたるものであり、同時に今現在となってはすでに失効したと考えてもよいものも多く含まれているように思います。この応答では、特にkugyoが問題提起した「そうではなく、「同人」全部の範囲の設定、そしてさらにその「全部」の数え上げそれ自体が、不可避的に孕んでしまういくつかの問題について、ともに考えたかった」という点に重点を置いておこうと思いますがよろしいでしょうか。
 kugyoのブログのコメント欄展開した話も、話題が若干拡散してしまったので、僕が誤解をしている点があるかもしれません。なによりも、僕はkugyoの「主体」と「環境」の分節がよくわかりませんでしたし、矛盾するあるいは、受け入れがたい定義でそれらの語をkugyoは使っているように思えました。
 例えば、僕はたしかに「講談社じゃあしょうがない」と問題のエントリで記述しましたが、それをもとに「講談社に意志を認めていない」したがって「講談社は環境である。」とたたたが考えている、と読むkugyoの論は無理があります。
 この一文は、むしろ講談社の意思決定と文学フリマ事務局の提携関係(これは意志による行為ですよね)に、多少の不満があっても僕は諦めよう。という風によむのが自然だと思いますし、講談社に意志を認めない、という帰結がどのように為されるのかわかりません。
 もちろん、そこに政治的なものや、あるいは感情的なものが入り込んでいることは否定しません。ただ、ゼロアカに参加した人たちやその観客やウォッチャーも含めて、僕は勝手に仲間だと思っているし、実際に「批評」とか「文学」とか「創作」とかをやってしまうような人たちを、ゼロアカの門下生だけではなく応援したい、という思いはありますし、ゼロアカにかかわった人たちに、来年度も文学フリマに参加してほしいと思っていることも付記しておきます。

 さて、まず端的にこの問題について展開された「文芸同人の全体性」ないし「同人のカウント性」という問題について整理しておこうと思います。
 kugyoが述べた「全体」が文字通り現在活動中の同人*1を全てカウントし、また活動をしようとしているサークルも含むのでなければ、「全体」とは同人活動をする場所(環境)を指すだけになってしまうのではないか。
 その結果、活動環境(フリマやコミケコミティアなど)から漏れてしまう人たちのことを無視してしまうのではないか。あるいは、イベントに当選した人たちを優遇することは、もれてしまったまだ見ぬ同人たちを無視することになってしまうのではないか。というのがkugyoの、僕が行った「ゼロアカ以外全部紹介」に対する批判の主要な点であったように思います。そもそも、カウントという方法が「全体」とどう結びつくのか、カウントしても意味があるのかという問題も出たかもしれません。
 
 「同人」は別に届出があるわけではないですし、イベントに申し込めば「同人活動」をやったことになる、という活動の単位が非常に曖昧な世界です。(あるいは「同人やってたんだぜー」と言い張ればやっていたこととして認めてもらえる、のかなぁ)
 もちろん、その中で僕たちが普通に想像するような「同人」に親和性が高いジャンル(アニソン、東方、ミクなどや2次創作。あるいは批評雑誌など)があることも確かですし、それらが媒介する諸々のイベントに趣味趣向や検閲も含めた偏差が発生することも考えられます。 
 
 でも、それが全てではない。「模索舎」にいけば、いまでも多くの左派運動誌が販売されていますし、「タコシェ」に行けば水晶の育成キットとかも売られているわけです。

 それらをグループ化して「カウント」する具体的な方法はやはり考えられない*2。その一つの壁が「落選」というイベントにつき物の現象であるということはすでにkugyoとのやりとりでで確認したと思います。
 
 カウントにまつわる法則を徹底化して、例外処理を無数に行ったとしても、やはりここで同人を「カウント」する方法を考えることは生産的だと思えません。かといって、イベントなどの活動環境、あるいはパソコンのソフトや印刷所やCDプレス会社などの同人活動の制作環境を考えることも同じように生産的だと思えません。
 つまり、同人の全体性といったとき、「誰かが同人を定義し、その全体を把握する」という形でのカウントの仕方は不可能なのだ、という結論にならざるを得ないのではないか、というのが僕の現在の考え方です。経済的な流通や記号的な流通を計量するも同じことです。
 しかし、そうしたカウントが企業にとっては必ず必要になります。決算するためには、自社の活動がどこからどのように流れたか「金」で換算する必要があるのですから。

 では、カウントという概念を無効化しかねない「同人」をどのように把握するのか「把握」しうるのか。ここでは、kugyoへの返信と議論の進展を考えて「読み手/受け手」からの同人文化を考えてみたいと思います。

 以下次号。

*1:音楽、芸術、文芸、漫画、映像などの領域別の同人を含むか含まないかはここで置いておくとして。

*2:イベントを中心にすると例外が多く発生する問題もあります。例えば、高校の文芸部や漫画部などはどうなるのでしょうか。