難解になりすぎた以下略の注解。シ的なものを担ってる。

梅「今回の僕たちのテーマが「シ」だっけ。市川さんにも突っ込まれつつ「シ的世界のインターフェース」というのが今回の雑誌のテーマだよね」
安「そだね。一字の文字から想像力を駆動させる、っていうのは原田宗典の「し」っていう本がもとねたにあるんだよ。それがいうほど想像力を喚起させない、というのはむしろ当然のことで、想像力を発揮させていくような駆動原理っていうのはやっぱり有る意味では「ベタ」で「エッジがきいてない」わけだね。ファンタジーとか、SFとか、ジェンダーでも、視覚文化でも、ジャンプ的世界観でも、バトルロワイヤルでもなんでもいいけれどさ。それ自体は豊穣な土台であっても、その豊穣さがイメージを喚起する過程の、ある種の作り手の自動的な手続きに……」
梅「つまり「ベタなものじゃないと想像力を喚起しない」ってことかな」
安「ある意味ではそうだね。pixivでは「pixivファンタジア」という企画をやっているけれど、それもテーマ/世界設定はとても「ベタ」だよね。東方もその意味ではそうだよね。東方カルチャーについて少し僕が書いたのが雑誌に載るんだけど、東方も、いくつかのズレを含みながらやっぱりベタな物語世界ではある。」
梅「それが悪いの?」
安「きのーと同じ質問をして。悪くないけど、そっちの、サブカルのウイングは厚いから僕たちがやらなくてもいいでしょってこと。もっとニッチな、あるいは切り口が「次のステップ/別の文化」に結びつかないならやっても意味ないじゃない。そういう雑誌なんだから。今回「シ的世界」という言い方をしたのは、むしろ「想像力を駆動させないものをどう想像するか」というところ、つまり想像力と思考力を一緒に駆動させないとだめな、そういうテーマを設定したことになったんだよね。」
梅「ほむ。同時に魅力が薄いという。」
安「魅力って言い方をするなら、魅力的なものは再帰的なものなんだよ。ある意味ではね。魅力があるものはやっぱりそれを魅力的にみせるフックが買い手の側にすでにあって、そういうフックを繰り返しているのが魅力的、の意味なんじゃないかな。VOL2でやりたかったのは、そういう魅力をどうやって「期待値のパラメーターにずれ込ませていくか」なわけ。そこには期待通りのものと、期待はずれなものと、そうじゃないけどなんかよさげなものといくつかないと、だめだよね」
梅「そういう考えでいうなら、シ的なものを一番強くになったのが、九段『edgeless』と鈴木『夕立は馬の背を分ける、か?』ですかね」
安「かもね。原稿受け取るときに、そういう話をちらりともらったし。どっちの作品も奇妙に似ている感じがするね。ある意味ではノスタルジックな感傷的な雰囲気がある。シ的なものが駆動するのはやっぱり「詩」っていうのが大きいと思うけれど、散文における「詩」の発露にはノスタルジーが相性いいのかな。九段さんのは連作短編、らしい。ちょっと気取った雰囲気の短い作品。鈴木さんのは、なんか可愛い感じのエッセイ」
梅「二人とも、シ的なものを考えて、こういう作品をだしてくれた、という側面があるのがうれしいね」
安「ま、このテーマはインタビューのはしばしにも生きてくるし、雑誌全体の雰囲気とかも決定付けるはずなんだよね。今回の文学フリマは「批評」に重たいウエイトがかかると思うんだけれど、批評にはエディションという段階で、ある決定的な目的――論点とか、着地点とか――をもたざるを得ないわけだよ。その意味で、意味がわからないとか難解だとか、ポモだーとかっていうのを除けば、批評ほど明確なテーマを求められるジャンルはない。でもそれは「文学的な」ものが担ってきたものの半分でしかないわけだし、感傷的なものを感傷的に書くという批評ではたぶん許されにくいものを、でも考えたり想像力を働かせたりしながら書く、そういうものを書いてほしかったんだよね。」
梅「批評ほど魅力的だが再帰的なものはない、ってことかな」
安「そこまでのことはないと思うけれど、批評というジャンルを狭くとるなら再帰的なのはもう動かしようがないよね。先行する何かについてメタ的な語りを付け加えるというカタチの批評に顕著だけれど、それはやっぱり、どうしたって先にある何かに再帰せざるを得ないんだよね。そこでただ帰ってくるだけじゃなくて、どういう価値を付与するのかが勝負になるわけだけど、まぁあんまり詩的じゃないよね」
梅「石原インタビューのほうでは、詩についてもなにかあるよね」
安「そういうことですね。そちらはVOL3に掲載となると思うけど。」