難解になりすぎたS.E.VOL2のための注解2

 
 その日、僕はマウント富士のふもとで優雅な読書にふけっていた。
 「とんかつは、洋食だったのか」。
 そんな知識を入手しながら大日本帝国以前の肉食禁止について仏的な思いに駆られていると、そこにナホバ族のスカーミッシュが現れた! 
 たたたの攻撃!
  ミス!
 ナホバ族のスカーミッシュAは応援をよんだ!
  スー族の斧騎兵Aが現れた!
 ナホバ族のスカーミッシュBは応援をよんだ!
  オスマントルコのイェニチェリが現れた!
 ナホバ族のスカーミッシュCが応援をよんだ!
  オスマントルコマムルークが現れた!
 ナホバ族のスカーミッシュDが応援をよんだ!
  オスマントルコの投石器が現れた!
 ナホバ族のスカーミッシュEが応援をよんだ!
  オスマントルコのオルガン砲が現れた!
 ナホバ続のスカーミッシュFが応援をよんだ!
  オスマントルコの『俺、参上!! 諸君、笑わないでいただきたい。僕はチルノと真剣に結婚がしたい!」 
 お、おすまん、
 オスマントルコー、
 オスマントルコの、俺が、いるー。

梅「ったく、服をきろよ。びしょぬれだろ? というこの台詞を一度でいいから言ってみたかったのは先週の月曜日までだった。僕はその日、嵐の中で輝いて、ごうごうと吹き荒れる窓の外の雪を見ながら、毛布一枚に裸をくるめて焚火にあたる彼女のほそい背中を眺めていたんだ。『だいよばううか?』と僕は聞いた。彼女は言った『らしrにはなめらが無い青?』って。僕葉その背中をやさしく抱きすくめるようにして『ねれl、あの、ふたりでせrくあおすすればいいとおもう。だって、さ』『らめえぇ!』『そんなかんけいじゃないんだ!』」
安「ちわーっす。オヤジ。ビール一本。……梅田じゃんどうしたの?」
梅「『ひだらたいわあ! わあw!』『ぽんぽんいたいのぉ! のおう!』ちゅぱちゅあ!」
安「なんだ、ラーメンを食べていただけか。前回の話の続きだけど、ちょっとした誤解を招いたかもしれないね。『おお、左隣のラスプーチンでは80年代的文学、あるいは批評空間が文学だと思っているぞ、にげろー』ってね。どうするよ」
梅「ま、いいんじゃないの?」
安「いいのかよ」
梅「いけないの?」
安「いいか悪いかは、どの観点から考えるかによりけりだ。文学への導入を考えたときに、文学をテーマパーク、導入を門だとしよう。テーマパークがつぶれていたら、門が立派でもどうしようもないでしょう? 携帯小説とか、ライトノベルとか、一時期ほどの火力がないものを持ち上げて少ない、あるいはハズレの多いコンテンツでわっしょいわっしょいと神輿を担ぐよりかは、、少し前のものだけどコストも低くてそれなりにしなぞろえの良いものを導入と考えたほうが、いいでしょう? そうしたら『あえて』の立場で『そうだね。そういう系譜に連なるものだよ』というのはありかと』
梅「ばかあ! それじゃ、それじゃだめなのぉ!! 飛んでぶーりん以外楽しめない女の子はどうするのお!?」
安「だから『観点』といったし、文学をやる意味のほうで推奨したいのはつまりこういうことだね。『飛んでぶーりん以外にも面白い作品はたくさんあるよ』ではなくて『飛んでぶーりん、をもっと面白く呼んで、君がつまらないと思っている作品も楽しく読もうよ』とね」
梅「うさんくさい」
安「フヒヒサーセンwww しかし、そのための雑誌だからね。『おいおい、りぼんだけが宇宙じゃないよ。ニュートンよんでる君も、文学界よんでらりっちゃおうぜ!?』というアプローチが無理だとして、そういうブレイク・コアなことをしないで文学の有用性を示すためにはま、いろんなところで参入障壁を下げなきゃならないねって話。お金を払うって言う意味でもね」
梅「ふーん。じゃ、僕は妄想に戻るから」
安「妄想といいながら、結局その妄想もベタな物語に依存してるだけじゃないかね」
梅「悪いかよ」
安「悪いね。頭を使ってない。そういう妄想をしてるぐらいならこういえるよ。『な。彼女作りなよ。その子に抱いてもらいなよ』」
梅「それも違うね。『抱いてもらえれば妄想による幻想と同じぐらいの感動は味わえる』と思ってるかもしれないが、人に抱かれる、とか夕日のなかで抱き合う、とかラブホにいくっていうのもコンテクスト依存の出来事なんだよ。ただラブホにいけば感動が味わえるというわけではない」
安「そこが問題じゃないかな。じゃあラブホにいって感動が味わえるシチュエーションを想定して妄想する。それがいろんな差別的意識を発生させないかと」
梅「どこに?」
安「頭の中にさ」
梅「それは普通のことじゃないかな」
安「その普通をなんとかしろよ。それが文学の仕事だ!」
梅「・・・・最後の、思い付きだろ」
安「うん。実はもう酔ってて、眠いんだ。でもこういうオチに『文学』使うのはありかなと思うね。そういうラフな寛容さの所存も大事だよ以外と」

[S.E.VOL2]芥河さんの進化がとまらない件。

梅「芥河圭一さんと、三本恭子さんが書いてるね。VOL2にも」
安「うん。漫画と小説ね。芥河さんの今号の漫画はガチですごいよ。もう」
梅「そんなに?」
安「うん。僕が『文学』とかって語るとやっぱりそれは実作とはどうしても理念的なズレがある。そこらへんはしょうがないんだけど、そういう穴を吹っ飛ばすきちっとした作りのコンテンツを作れるのは、やっぱりこの二人だね」
梅「ほむ。三本さんの小説は」
安「うーん。彼女も普通に才能があるんだと思うんだよ。カチカチ話をつくって、語彙の選択や文章のきり方もうまい。いろいろなスキルをもっているんだけど、なんだかそれをかちっと生かせていないかな。今号の小説も面白いんだけどねー。一度リテイクはだした」
梅「シビアだねぇ」
安「この二人は暇があるかぎり『S.E.』に書いてもらおうと思ってるんだよね。芥河さんの漫画って、しょうじきするっと読むとなんだか不思議な感じがするんだよ。二、三回読みたくなる。『あ、ああいう雰囲気がもっかい味わいたいな』と思って二回読む作家はいるかもしれないけれど、それって出会いじゃないんだよね。再帰的に同じこといってるだけ。ひだスケとかね。それはそれでいいんだけど、なんだかわからんかったからもっかい、と思わせる作家性を芥河さんはもってる。今号はかなり一般向けに明るい話になったけれどもね」
梅「ほむ。三本さんはその限り、もっと修行がほしいっ?」
安「修行じゃなくて、コストだね。もっとコストをかけて小説書いてほしいなとは思う。まぁ、働きながらだから、大変だよね。芝居もあるからそんなに無理はいえないし。それに書き直してきちんと、よくなっていくんだからそういうところにセンスはあるよね」
梅「どちらかというとウェルメイドな話の作り方に定評があるかな。でも予定調和的じゃなくて、不思議な寂しさがあるよえん。、どこか日常としっかりグリップするバランス感覚ももってる」

[S.E.VOL2]哲学? 文学?

梅「あと、トラックバックをいただたいんですが」
安「紫本さんからね。プレーンな言語で理論武装を説明するあたりの難しさは、id:manthanoのほうが深刻なんだろう。応用哲学会だっけ、そういうところらへんにいたような気がする。ほむ。僕がルドロジーとか、あるいはゲーム批評をやろうと思ってるのもそういうところのとっかかりかたから突破口を開こうかなと思ってるところがあるんだよね。ゲームの批評って「哲学的(形而上学的)アプローチ」「商業的アプローチ」「数学的アプローチ」「工学的アプローチ」とあって、むしろ最近は商業的アプローチとか社会学的なアプローチとかのほうが面白いような気がしてるんだけど」
梅「はあ」
安「有用性を説明するって、たぶん歴史学とかはかなり激しいんだよ。今。小学館の『日本の歴史』って叢書が続々刊行中だけど、どこの巻にも『歴史を学ぶ意義』が書いてあるからな」
梅「そのうち、哲学の特集でも組むかね」
安「そういうのもありだよね。文学を『誤配』するという立場に立てば、『ハジメテデアウ文芸誌』よりも『はじめてであうファッション誌』のほうが誤配効率は高いんだよ。ファッション誌にだって小説載ってるし、かつてはなんだっけ。現代思想誌みたいなファッション雑誌もあったわけだよね。でもそれは、旗をたてるってことではないんだよね。僕がやりたいのは誤配そのものではなくて、今あるコンテンツをほかのジャンルや発想とクロスオーバーさせて、文学の弱いウイングを補っていくことなわけ。強いウイングはほっとくよ。その意味では、哲学と組むことが目的にしてしまうのは違うかなと。でも哲学というウイングがあればできることも増えるかなとね。」
梅「なんというスパロボ
安「ま、スパロボでいいじゃん。なわけ。スパロボはただたんにいろんな作品を組み合わせただけじゃなくて、そこにイデオロギッシュなエディションがあるわけでしょ。そういう風にどこにエディションの旗を・・・ふああ」
梅「眠い。又明日にしよう」