おわりの雪

おわりの雪

おわりの雪

  • まずなによりも、トビという肉食の鳥を飼いたいという欲求。<ぼく>がそれをもったのは雪の降る冬だったと、物語りが告げる。
  • 児童文学出身だという著者、ユベール・マンガレリの語りは一見子供向きのポジティブな、そしてそれをゆえに主人公のたつ未来への厳しさを予感させるある種の「子供じみた」口調であるかもしれない。だからこそ、そのような話の語りから逸脱を始める暴力に背筋が震える。震えは恐怖だ。児童文学とは、一面恐怖にみちた小説でもあるというなら、おわりの雪は何もかもが終わっていくその始まりを記すものだ。
  • ディ・ガッソのところで見つけたトビを飼うためにお金を稼ぐ<ぼく>は養老院の仕事のかたわら、ボルグマンのつてを借りて子猫を殺害するアルバイトを始める。そうして稼ぐ冬の厳しくなる時期に、やっとトビを買えるだけの金額を手に入れる。それでも僕は家出をして、山のなかを遠く遠く歩いていく。山のなかで犬に食われる夢をみて、家に帰り、トビとの共同生活を始めたとたん、そのトビに対する憧れが消えていくのを悟る……。
  • その《死と暴力》。つまり物言わぬ動物に与え/与えられる暴力の関係が、この小説における児童文学じみた成長物語の副流として流れ続ける。山の中で出会う犬は妄想のなかで猟犬として死をもたらすかもしれず、トビは肉食で鳥の来訪は父の病を悪化させる。物言わぬ生物達の、不気味な物語世界への進入が、この作品の読後感を不安にさせるのだろう。
  • 猫を殺すシーンは二回ある。子猫を袋に詰めて、水のはいった桶にいれて溺死させようと試みる。けれども、その桶の中から聞こえた泣き声に、僕は――恐らく――恐怖した。

 また布袋を開けた。なかを見ないようにして、ひろってきた石くれを入れた。そして袋のはしをむすびなおし、水のなかにもどした。この石で重さはたりるだろうかと思いながら見まもっていると、袋はすぐ底に沈んだ。ぼくはまた外にでた。玄関にもたれ、左右の頬っぺたにかわるがわる手をあてながら、人気のない通りをぼんやりとながめた。通りはいつまでもがらんとしていた。どうしてなのかわからない。でも、通りに沿ってまっすぐ伸びる石壁のせいで、よけい、がらんと感じたのかもしれない。

  • このような空白や空虚の中に《死》が入り込む。常套的な語りであるがゆえに、普遍的なメッセージをもつ死の言葉。だからこそこの作品はとても優れているように思う。
  • 文章明快でするすると読める。おすすめしたい。

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