演劇が消えた日

 荒川チョモランマ『偽善者日記』を観ている真っ最中だった。
 おおぶりで大胆で、静かではないけれど、どこか懐かしい感じのする演出。時期は好景気のあの頃。舞台の真中にでんと鎮座する螺旋階段は、上がったり下がったりする人生や、上がっていくことや下がっていくことが等価であることを示す隠喩もあるのかもしれない。だから、多少の古さやオーソドックス極まりない(つまりベタ)な始まり方やエネルギッシュではないけれど、静かに未来へ期待をよせる「若さ」が垣間見えて、これからどんな話になるんだろうという思いになったし、これから舞台にでるであろう魅力的な俳優たちに思いをはせているさなかのことだ。

 最初の「揺れ」はまるで何かの演出だったかのようにふわふわと心地よく始まり、あっという間に信じられないほどの恐怖と振動が劇場MOMOを包み込む。客席から小さく「これ、これやばいんじゃない……?」というつぶやきが漏れはじめ、それがひときわ大きな揺れと共に悲鳴に変わる。
 俳優たちはその状態でも平然と――少なくとも平然とあろうとして演技を続けていた。隠しきれない動揺と恐怖があっただろうけれど、それでも「中止」のきっかけが訪れるまでは自らの仕事をやり遂げようとしていたのだった。揺れの真っ最中に主宰の人が駆けつけて、中止を告げる。動揺でことばに詰まりながら。あわてて劇場の外へ出るように告げる。ロビーではなく、みな外で待っていた。みに来た観客たちも、知り合いたちが多かったのだろう。談笑が始まって、それから舞台セット、とくに照明の確認作業が始まった。 なんの問題もなければ、また始めます、と主宰は言った。「終了時間が一時間のびるけれど、問題ありません。また、やります。」
 その期待を、十分後に襲いかかった余震が奪ったのだった。中止します。と主宰と制作の方が言った。
 みんな泣いていた。泣いていない人も、はしゃぐ気分にはなれなかっただろう。沈鬱な表情でうずくまっている人もいた。観客にも、関係者にも、深い悲しみがあったけれども、怪我人は誰もいなかった。みんな無事だ。
 
 そうして、返金処理がはじまる。料金を受け取ってから*1中野から下北まであるいた。「テノヒラサイズ」という関西を中心に活動している劇団を予約していて、ソワレでみにゆこうと思っていたのだけれど、そこも中止の判断を下していた。むしろ、全日程を中止にするという英断をしていたようだ。*2
 九月の公演の招待券をもらい、それを渡すときの悲しそうな俳優たちの姿に息が詰まる思いがした。

 東京には500の劇場があるという。昨日、そして今も続いている地震は東京から演劇を奪っていった。いや、日本中の多くの劇場からその芝居を奪っていったのだった。映画は映写機がこわれるまで自分の映し出すものは映画である、ということを止めないだろうけれど、演劇はそうではない。俳優は上演の途中でも、逃げなければならないし、観客もまたしかりなのだ。だから、安全を第一に考えて日本中の劇団が行動したことは素晴らしいことなのだ。
 だから、今日公演をする劇団にはとにかく「安全第一」でやってもらいたい。まだまだ地震は続いていて、たくさんの情報が飛び交っている。また大きな余震があるかもしれないし、いろいろなことがいろいろどうなるかわからない。
 けれども、本質的には人を喜ばせるため(喜ばなくてもいいんだが)にある演劇でその悦びが奪われるようなことを起こしてはいけない。配慮や思慮をもって運営にあたってほしい。
 昨日今日と【中止】の英断を下した劇団に、敬意と配慮を。箱を貸す側も配慮をお願いしたい。僕がいえたことではないのだけれど。
 それから、今日公演を開く劇団や明日以降に演劇を開く劇団に勇気を。下北で、ソワレを楽しみに三茶から歩いてきた観劇人にばったりあった。やってないかもしれないのに、どうして来たのか、と問い質したら、「当然だよ。」とその人は笑って答えたのだった。そんなふうに楽しみにしている人たちもたくさんいるのだ。

 いまもっと大変なことになっている人も場所もある。けれども、それは遠い場所で起こっているのではないのだ。こんな風になってしまった時に、僕らに何が出来て何をしたらいいか、少し考えてこういう日記をかきのこしておくことにしたわけだけど、本当は小さく「がんばれ」と祈りとともにつぶやくことぐらいしかできないけれど、僕はまた面白い演劇をみにいくことを楽しみにしているのですよ。

*1:受け取らずに寄付してもよかったなぁ。今思えば。

*2:今ブログを見たら、荒川チョモランマも12日の公演を中止していたようだ。