ゲキバカ! はすごいバカ


劇団コーヒー牛乳改めゲキバカ! の第二回公演は「ワイルドターキー」を観劇。というのも若干古い話だけれど、ゆっくりと見てきた芝居を文字にしていこうと思います。
 非常に男臭い芝居でした。何が男臭いって、まず舞台上に男しかない。
 。しかもかっこいい男と、変態しかいないのである。
 これは事件だ。

 東北の田舎から出てきた下っ端のヤクザと、それを引き受けた舎弟との友情を描いた物語。灰色の町で起こる様々な事件や、ヤクザの抗争、チンピラのような刑事や、夢をなくしたラーメン屋など暗い任侠映画のテイストを存分に持ちながら、コメディ色も合わせもった。
 舎弟役は伊藤今人であいかわらずの高い存在感と身体性で舞台を存分に盛り上げてくれた。映像出演は柿喰う客のコロで、いかにもな配役ながら画面越しにもつよい印象を残した。
 影の主役は同性愛者らしき東北生まれのやぶ医者で、コメディ部分の多くを担当した。

 椅子の座り心地に眠気すら誘う東京芸術劇場小ホール。
 照明が暗くなり、舞台にスポットライトがあたると「ワイルドターキー」はゆっくりと始まる。極彩色のシャツを着て、スーツでキメた男たちが立っている。ひとりずつの異なる足の位置で、生き方まで分かるような屹立とした立ち方にあこがれさえ感じてしまう。彼らが声を張り上げて謳うのは、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」だ。

 雨にも負けず風にも負けず、夏の暑さにも冬の寒さにも負けず。そんな人になりたい私がいたら、そいつは間違いなく男の中の男である。
 クサい台詞もお笑いも両方込めてきちんとすすめていく演劇力の高さ、ストレートプレイなお芝居と油断無きエンターテイメントなお芝居、アドリブのような台詞も、コミカルなかけあいもすべてがハイレベルな演劇だった。
 そういう意味では、いわゆる小劇場演劇としてよりもテレビドラマや映画のようなストレートな感動を味わえる。筋の荒さや話運びの悪さ*1を補ってあまりある俳優陣と演出が光っていた。


 ただし、逆にいえばそれはそれだけのものであって、食い足りない。
 裸の漢たちやギターソロの演出、疾走感のあるコントも感傷的なストーリーも舞台設定も、すべてが有機的に連関しなければ「おまけ」としての魅力しかもち得ない。おまけが面白いだけではない強度を示してほしかった。その素材はたくさんあるので、それらすべてが組み合わさった時の衝撃をボクは待ちわびている。

*1:お笑いのシーンとシリアスなシーンとがあまりにもシームレスで笑っていいのかだめなのか一瞬わからないことがしばしば