観劇と雑記と

今日は一年でもっとも月が美しい日なのだそうで、駅から帰る間に空を見上げている人を何人も何人も見かけたけれど、一人一人の表情から何を考えて思うのかはよくわからない。けれど、ただ見上げているというだけで、漠然とした連帯感みたいな、愛情みたいな、友情でもないけれど何か気になる親近感の弱い波長のようなものを感じて、ああ、こういう風な、会話にもならないような思いや感覚っていうのもあるんだな、なんて思う。


 ここ数週間で読んだ様々な本や見た映画、観劇の記憶なんかはいちいち文字に書き留めるのもおっくうで、文字にするようなきれいで的確な言葉が思い浮かばなかったり。でなければ感じたことや思い込んだ節なんかに自信がなかったりして、自信みたいな強さを持っていないと何か言ってはいけないような気もしていたりして、でもそれでは消えていってしまうものもあるから、ブログ、という形を借りて、何かの記憶を定めておこうと思う。
 記憶か。砂絵のようなはかなくて揺らいでいくような言葉でそれをつなぎ止める、なんてことで、何かについて語ることが、いいのかどうか、わからないけれど。

記憶について。

 青☆組「忘却曲線」は小竹向原のアトリエ春風舎で上演されたお芝居で、ここ最近見た中で一番印象に残っている。
 舞台は港町、砂地に起つ小さな家をモチーフにした舞台セットで、ベランダとリビングのセットがある。 母と四人の子供たちの物語だ。大人になった四人の子供が暗い現実と楽しかった過去の記憶を往復してしていく物語でもある。
 タイトルの「忘却曲線」は、記憶の残りと強度を表す曲線なのだという、過去のことはたくさん忘れて、いつまでも保存はできない……。
 でも、消えていく過去をつなぎ止めるのに演劇という形はありうるのだろう。消えていく過去に別れを告げるのにも演劇という形はありうるのだろう。

 俳優達が、まるでスイッチのオンオフのように子供や大人に変貌する様を見ながら、俳優の身体性や舞台の構成なんかよりもずっと感覚的なもので、僕らは懐かしさや甘えた記憶を探ってしまっていた。人の多くは、大人になっても子供でいたころの何かを少しずつもっていて、ふとした瞬間に甘えたりできたその記憶が振る舞いを覚えているから、大人はふいに子供になることができるんだろう。「忘却曲線」の時間は、いつでもとてつもなく懐かしい。
 その時間のなかで、過去を少しずつ、繰り返していく。取り返しのつかない出来事の洪水の中で、それでも子供の時代を終わらせていかなければならなくて、それはとても辛いことで悲しいことだけれど、そこに明るく向かっていくことができたらそれは勇気だ。小さな劇場の、小さな告白や出来事の積み重ねは、勇気を見せるのにとても感動的な場所だ、と僕は思う。
 俳優たちも抜群にすばらしい。井上みなみさんという青年団の女優さんの存在感。包み込むような温かさ。


 かと思えば、KUNIO「文化祭」@こまばアゴラもすごかった。こちらは物語はあんまりなくて、学園ネタ全開の青春リバイバルを具に、ただひたすらに暑苦しくてもすがすがしい鍋を食わされた感じ。せまっくるしい劇場に三一名の俳優が踊って歌ってラップしていじめがあって、応援団から愛の告白、ダンス、痴呆症のおばあちゃんと何か、あとまぁ、とにかくキラキラした舞台でまぶしかった。しかしそのまぶしさに何か意味があったかとか、深い何かがあったかとか、そういうことはあんまりなくてあっけらかんとしたテンションが、人体にやどって目前を超特急で過ぎ去っていくような楽しさに満ちあふれすぎていろいろあふれていた作品でした。
 それでもいいじゃないか、明るくてキラキラして、そんな輝きみたいなものを見たら僕らは少しでも元気になれるし、そんな元気を分け与えるようなことだって演劇には出来るらしいんだもの。
 舞台では暗くて鈍い出来事もたくさん起こっていて、ホモ疑惑をかけられた男の子同士のいじめの悲惨さや、痴呆症の祖母と二人ぐらしをする女子高生の日常もあった。二階堂瞳子といえば、バナナ学園純情乙女で罪深く業深い戯曲のレイプで知られるけれど、彼女のもつ鈍い光の存在感は強く感じた。
 鈍くて暗い出来事。その鈍さの中には、鈍器をもった友達に無表情で殴られるような残酷さも潜んでいて、でもそれが後味の悪さにならなくて、業の深さもむしろすがすがしい。
 名前を忘れてしまったけれど、本当になんか、キラキラという感じの女優さん(白川美波さんか関亜弓さんか)がいて、それとは別にあっけらかんとした人もいて、あと男優がことごとく無駄にすばらしかった。上野さんとか、出番少なかったけど松田さんとかね。みんないてみんなよかった。みんなよかったって褒め言葉、全然いいのかどうかわからないけど、そんなみんなよかった、としかいいようのない曖昧な連隊と達成感は、たしかに僕の感じたことがない「文化祭」で起こることなのかもしれない。文化祭、文化祭。あんまり文化の匂いがしない、テンションの高さと若さと暑さ。アゴラの会場をでたとき、めちゃめちゃ気温が高いこの夏も悪くないなとふと思ってしまって、何か拾ったような気持ちになった。

そのあとに、コマツ企画「よわいもんいじめ」@三鷹芸術文化センターをみたときは、だからいろんな感想を感じつつも、ああー、きれいなコマツーと思ってしまう自分がいたりして、一つ一つのセクションでは面白く魅せてくれるシーケンスがあったり、俳優さんたちの圧倒的な演技力に惚れそうになったり、それとは全然関係なく芸術文化センターまで歩いていく道が気持ちよかったりしたので、演劇のこととは別にまたよし。近藤美月さんの「自殺女」のぶっちぎってる面倒くささは男性の2割に経験があったり、妙に印象に残る台詞があったりする意味を考えてるうちに電車の中で寝ていて、まあそういうのもいいかなって思ったりなんかして。