エムキチビート 2×2 Middle Stories Act.

『90%VIRGIN / 終末の天気」』

青春といったら、日本では制服を思い出すことになっていて、制服を思い出したら部活を思い返すことにもなっているはずです。

感想

渋谷「ギャラリーLE DECO」の五階で開かれた二本立ての演劇「90%VIRGIN / 終末の天気」は、そんな青春の連想をぎゅっと詰め込んでいて、そういうのが好きな僕としては心洗われた気持ちもしたお芝居でありました。

 公演日によって配役と俳優が異なるシステム。織姫/彦星の二つのグループで、僕がみたのは昨日七時の織姫組。

 裏番組では「耳を澄ませば」もはじまっていましたが、演技力もモチベーションも十分で、多少疲れが見えていたとはいえ、俳優達もよく作品を理解して非常に「うまく」立ち回っていたお芝居でした。
 

「90%VIRGINE」について

 ハセガワアユム(MU)が脚本を提供した「90%VIRGINE」は廃部寸前の軽音部が舞台。ドラマーが雑誌の束をドラムにみたててミスチルを練習しているところから始まり、先輩の女の子、謎のDJ、中学生、先生などが次々にでてきて舞台を引っかき回していきます。MUの演劇は一度しか見たことないけれど、キャラ立ちのすごさやインパクトがしっかりとある安心感! 
 
 パンクロックを志しているらしい主役の女の子の激しさがすがすがしい! ハセガワアユムとしては初期作品に入る物だと思いますが、今のMUへもしっかりつながってるのかな。所々でミスチルの曲を口ずさむ先生がこれがまたうまくて泣かせつつ、「ミスチル」を通した世代間ギャップと自意識の発露と欠如についてガッチリ語ってるところはさすがとしかいいようがありません。

 「けいおんっ!」ブームひきやらぬなかでの軽音部の話ですが、軽音部の存続の条件として文化祭でミスターチルドレンの曲を練習するようにと言われているようです。しかし、主人公の女の子はパンクロック好きで歌詞を直されてばかり。ミスチルにも感情移入ができないわけです。「練習するように」言った先生のほうは、ほとんど自分の行動原理をミスチルに依存している/言葉をミスチルに頼っているという非常なミスチルファンです。というより、言葉だけではなく非常に忠実なミスチルの生き方をなぞっている。その二人の相違が学生/先生、世代間/文化間のギャップとして、舞台上に深い断面を生み出しています。

 同時にミスター「チルドレン」であることを「大人の先生」が忠実になぞっていることで高校二年生の「中2病」と非常に深い共振も引き起こしています。そんな舞台のなかの亀裂……差異と類似をミスチルの音楽がほとんど一手に担っている。短編作品として見ていて引き込まれる構成のすごさをミスチル世代に依拠しつつ、ミスチルの欺瞞を持っていることを「不倫」という大人の悪行と絡めて次々と暴かれていきます。ミスチルに感動するという暴力について、非常に後味のわるい告発をする舞台でもありました。
 

終末の天気について

 「終末の天気」は世界が終わる最後の一日前を舞台に、学校で起こる演劇部と、学校しか居場所がない大人たちの物語。これもまたよくできたお芝居でした。ヤンキーたちや和田君の扱いがよくわからず、唐突な印象を受けたけれど、それはそれ。

 こちらでは、ミスチルではなく「iLL」が登場します。地球最後の日、地方のラジオ局が最後の最後にラジオ放送を開始します。iLLのspace Rockをかけはじめる。なんでこの曲なのかについては物語上の必然性があります。一度でも聞けばわかりますが、この曲はずっと「見上げて、リアリティ」というフレーズを印象深く繰り返してます。「リアリティ」。世界が終末を迎えるという状況に「リアリティ」を現前させる曲。そういう選曲としてラジオDJはSpace Rockをかけたのでしょう。
 二つの演劇は、それぞれどんな曲をなぜかけるのか、という問題意識が舞台の上に投げ出されています。その曲がかかってしまう状況を飲み込まざるをえない「終末の天気」と、それぞれの葛藤をお互いに共有していない「90%VIRGINE」とでは曲をかける状況が全然異なっているわけです。単純に見ると、ミスチルの欺瞞と音楽による感動の共有を拒む「90%」が優れているように感じるのですが、「終末の天気」は聞く人がいなくても曲をかけるという強度がいい。

 さてさて、この二作品はさっき述べたような学園物的青春を描いています。二本立てになってる理由はその意味では明確です。もう一つは音楽がよかった。そして、音楽によって舞台の上で起きていることの意味を語らせるという二作品に共通した技法は「学校で音楽を聞く」というシチュエーションの想起力によってさらに強度を増していました。

また、学園ものには欠かせない制服もよかったです。よかったのですが、俳優が制服を着るということについてちょっと考えさせられました。誰かが制服を着ていればそこがまるで学校のように見える。でもその学校のリアリティは誰がどんな体で制服を着ているのか、ということに依存するように感じました。
 だから、安易に制服を着せてしまうだけでは「学園青春」は起こせない。そこで青春をきっちりやってみせる身体と物語は不可分なのかもしれなません。
 制服という魔力に負けない物語を提供したハセガワアユムの脚本はやっぱり面白かったし、自由度の低いDE LECOでの演出も安定してました。エムキチビートの二時間は、そういう実は微妙なバランスの上にあるものを、バランスをとっている姿を見せないように魅せつける二時間だったのでしょう。後になってわかります。
 そういう意味でも、いいお芝居でした。あとは知らない役者さんたちが多かったのですが、うまい人が多かったのも高ポイントです。でもまだまだクオリティあげられるはず! なところも期待をかけたくなりますね。