カテゴリの問題として捉え直す。

 
 さてさて、republic1963さんのエントリで展開された文章系同人の問題点は、いろいろありますが*1、基本的には以下の三点であると整理できるように思います。

  • ベネフィット(利益) 同人をやるメリット。
  • シーン(流行) 同人文芸/文章系同人に対する注目度
  • カテゴリ(範疇) 文章系同人内部のカテゴリ分けの問題。

「ベネフィット」は要するに同人文芸のキャリアパスの不在と、部数の問題、それからブログやコストとの関係なんかが挙げられます。
これについては「気合いれてがんばろうぜ」としか言いようがありません。みんなでコミュニケーションするのは、つらいこともありますが楽しいことですから、それはいいとして、他のベネフィットを手に入れるのは文章系のみならず大変なことです。それは同人の問題ではなく、それを誰がどう評価するのかという問題(=お金を払ってもいいと思ってくれるのか)なのですから、すごく文章がうまい人や、他のチャンネルでも活躍出来る人達を応援していくことができるにせよ、基本的には気合をいれていろいろがんばる以外に何もできません。

「シーン」(流行)については問題は少し難しくなります。いまだに「ゼロアカ道場」の亡霊を引きずる男として(笑)*2、っていうか村上氏の『ゴーストの条件』がまだ出版されていない現状においてはまだ「ゼロアカという事態」は終了していないとも言えるわけですが、その折の盛り上がりが「文学フリマ」を未だに、ある意味縛り続けている。
 新しいムーブメントを立ち上げるのにも、メジャーシーンで活躍する人の力が必要だ問題もまだありますし、以前にあったムーブメントを乗り越えていかなければならない形で、波状攻撃を仕掛けていかないと意味がないわけですよね。でもその波もきてない、と。ただ、例えば「アラザル」の人たちが『エクス・ポ』に短いながらも非常にいい文章を寄せてい(る人もい)たりしてがんばってるなぁとは思いますし、ロスジェネや葬の人たちなんかも一応「文学フリマ」には出続けると言っていて、もちろん、コミケを主戦場にするクリルタイや衝撃を発した「空中キャンプ」その他の多くのサークルたちが持っているそこらへんのリソースをつぎ込めばいろんなことができるでしょう。

 また「文章系同人」というカテゴリに対する温度差もサークルによってマチマチで、文章系同人を盛り上げたいというサークルもあれば、自分とこが総取りできればいいやというサークルもあるでしょう。両方あって当然なのですが、それらの争いが「パイ」のレッドオーシャン化(血みどろの戦い化)をはじめたら最悪なわけです。*3。あと、pixivやニコニコ動画のようなものがあれば劇的に状況は変化するかもしれないし、しないかもしれない。


 もう一つの問題は「同人」というフレーム自体が「同人」を縛ってしまうということもあるでしょう。その意味で、『界遊』が〈ミニコミ〉の2.0というフレームを用意してブックフェアを展開したのはよかったなと思うわけです。

これもあくまで個人的な意見だけれど、文章系同人は「ミニコミ」と「同人」という二つのチャンネルを確保するべきであろうと思う。そしてそれは難しい話ではたぶんない。

 オフラインイベントについてはまた別の機会に。

「カテゴリ」(範疇)。今回の本題はここです。republic1983さんが「評論系」と限定してしまったことと関連して、今文章関係の同人たちを論じる/状況を把握する時に最大のネックになっているのがこのカテゴリ分けだろうと思っています。
 
republic1983さんの書き方にはややうかつなところがあったにせよ、論旨から小説系サークルを「詳しく知らない」という理由で外した点は意外と重大な問題をはらんでいるのではないでしょうか。僕は今、文章系同人を歴史的に記述することの困難を感じていて、それは別の話なのでいいのですが、「誰かがどこかの段階で論じる以上、全てに関して言及することはできない。けれども、可能な限り知的誠実さを担保しようとするならば、可能な限り全体の資料を把握しておく必要がある。」と思いつつ、その「全部の資料」がまったく入手できてません。

このままでは、そもそも論じる論じない以前に「いままで何があって何がなかったのか」すら把握できない。誰かがここの仕事をやるべきではないかと思いっます*4

 そういう状況下で、従来の小説/評論/詩そのほかたくさんのカテゴリ分類を採用したまま現在の文章系同人を論じるのはハードルが高すぎるのではないか。
 さすがにエントリが長くなったので、次回にまわしますが、そもそも評論/小説/詩といったコンテンツの内容によるカテゴリ分けが、文章を主とする同人に有効なのか。文学フリマの写真をバシャバシャ取ることが僕の趣味なのですが、それでわかったことは、もはや文章ですらないものを扱うものの文章系同人に加えうるということでした。細かい話は次回に回さざるをえないのですが、僕はそういう観点から、文学フリマコミケ、あるいはコミティアで活動する文章等を比較的主としやすい傾向を持つサークル群を、以下のような区分で考えたらどうだろうかという提案をしてみます。

  • 創造系
  • 情報系
  • 環境系


では、次回。また問題があったら書き直しますです。

*1:後に訂正され対象が「文章系」から「評論系」に限定されています。

*2:どうでもいいけれど、前号の『週刊読書人』の坂上氏の評はとてもよかったなと思います。

*3:同時に、「同人」に対する入りやすさをなんとか再び確保したいなと個人的には思っていて、でもこれは僕がどうこうできるあれでもないんだよなぁ。09年春の文学フリマには海○高校の学生たちが出てたんだけど以下のところで大変な誤解をしてしたせいで海○高校のOBOG、文芸部諸関係者には大変なご迷惑をおかけしました。かなりがんばって調査したはずなんですが、迂闊な書き方をしてしまって反省しきりです。情報提供者のtorico様、ありがとうございました。話ついでに言えば、サークルの継承が行われたか行われてないか、そもそも「閥」とかあるのかとか、外からだとまったく分からないんですよねぇ。もうちょとがんばって調査しないと……とは思っているのですが、なかなかそうも進まず、っていうこれは別に言い訳ではなくて、本当に頭がイタイんですよね。ともあれ、、コスト/リスク/リターンとは別に「なんか面白そうだから出るか」の軽いノリで出られる空間であってほしいとは思っています。もちろんその限りにおいて運営してくださるスタッフの人たちはすごくすごく敬意を持つし以下略

*4:閑話をいれれば、ここ二日間ほど調べた範囲では、これは相当絶望的な戦いな予感がします。同人文芸ネットワークや名簿作りなどはいろいろな方がしていますが、サークルや団体だけで軽く300は越え、しかも「ぶんぶん!」(文章系同人イベント) 以前の状況は新参の僕らにはブラックボックスすぎです。歴史化を拒んで成長してきたジャンルだともいえますが、これはさすがにまずいんじゃないでしょうか