あえての同人文芸可能有限論

クリルタイid:republic1963さんのエントリ「あえての文章系同人限界論」を受けて、映画『GOEMON』を見ながら何点かのリプライを考えてみたのですが、っていうか、GOEMON終わってしまったので、今は『攻殻機動隊 GHOST IN THE SHELL』をみはじめましたが――ってところまでをお昼に書いて、今夜です。深夜一時前です。遅筆ですみません。

当該エントリを読んで後、しばらく応答できませんでした。この問題が「文章系同人」というフレームの中でどういう位置を占めるのか今ひとつ明確ではないからです。これはrepublic1968さんの問題、というよりも僕らが意識している「文章系同人」(by井伏さん)をどう捉えたらいいのか、という問題でもあります。

 ずいぶん前のエントリで書いたように、僕は、というより多くの人は同人を定義せずに使っています。定義の必要を感じる人はおそらく少数でしょうし、また、定義そのものも困難です。

 んでもって、republic1964さんが述べたような、僕が感じるような「同人の、しかも文芸」に感じる閉塞感は、大きくは出世モデルの不在や、部数の問題、ジャンル間の問題、イベントの問題などと関係していると同時に、そもそも僕らはいったい何について話しているのかさえ明確ではないという事なのです。

 
 週刊メルマガクリルタイの原稿に僕は文章系同人の現在を「ある種の危機」として書きました。しかしですね。そもそも同人なんだから好きでやってるわけで、好きでやってることにジャンル全体の危機も何もない、とも言えるわけです。同人をやったことがない人は誤解しがちですが、ゴールに「プロ」を目指して同人活動をやる人はそう多くはありません。むしろプロの人が、仕事とは別に同人をやるケースがあるぐらいで、基本的に本を作ってやりとりをする。そこでのコミュニケーションや本を作るという(苦しくも)楽しい過程が好きなのだ、という人たちのほうが圧倒的に多いです。僕の友達のラノベ書きも「ラノベごっこがやりたいのであってラノベを書きたいのではない」と断言していました。けだし名言だと思いますが、似た思いをもって書いている人たちは二次創作系の人に非常に多いような印象を持っています。


ただ、現状では文章系同人に「プロ」という出口がほとんどないため、この「好き」を実行するのにはいくつかの覚悟がいります。彼らには、というよか文章書きたちにはプロを目指すために同人にでない、という選択肢もあるのですから。しかし、現在では多少少なくなっているかもしれませんが、ラノベの新人賞にはのべ一万を越える作品が応募されると聞きます。本格的にラノベの登竜門に「同人」というチャンネルが機能するようになったら、文章系同人をめぐる状況は激変するんじゃなかろうかと思っていて、それはささやかな希望につながる可能性はあるでしょう。
 
そして、それは実際にもうちょっとでプロになれそう! な事例としてかなり近いところにいる人達もいるのですが、ソノ話はまたこんど。