諸事雑感。文学フリマとか同人やら、いろいろつれづれ。

同人の話やら文学フリマについてやら批評についてやらあれやこれや。

 こんにちは。ご無沙汰でした。
 久しぶりのブログ記事ですね。同人ボイスドラマとか修士論文とか、キーボードはしょっちゅう叩いていたのですが、体が「なまる」っていうのはキーボードに向かう姿勢とかにも現れるものなのかもしれないなぁと思う昨今です。
 
それでまずブログのタイトルをつけようとおもったのですが、適切なタイトルが思い浮かばなかったので、適当なタイトルをつけることにしました。タイトルだけ視るとすごい大風呂敷ですが、つれづれ思うことなどを、書いてみようと思います。


 このあいだ、、同人音楽の祭典「M3」が開かれました。僕が同人音楽を面白く感じたのは割と最近のことで、mahakoyoの影響だったりニコニコ動画経由で垂れ流している東方アレンジのクオリティだったり、あるいはちょっとした縁で書かせていただいた『同人音楽.book-2999 summer-』の取材だったりします。M3に限定していえば、昨年の冬に開催されたM3フェスタで、会場の両端にライブステージがあるというむちゃくちゃな構成のなか、生片霧烈火をはじめ「同人音楽のスター」を何人も見れたことが大きかったかもしれません。

 それにひきかえ、同人文芸は……という話を今回少しだけしようかと思います。あくまでも僕の主観で書くことですので、あまりお気になさらずに。

二冊の本から

 最近、ちょっと遅ればせながら佐々木敦さんの『ニッポンの思想』を読みました。六四年に生まれ〇九年までを見てきた批評家の思想の興隆を見届けた個人史として興味深く、大物ぞろいで面白かったのですが、文学フリマ関係について、少し気になる書き方をしています。本全体から見ると「重箱の隅」ですが、少し紹介しておきましょう。
 
 東浩紀の影響力を計測するのに、同書は『思想地図』と「ゼロアカ道場」を取り上げています。この二つはあくまでも例示で、他の仕事については第七章で個別に検討されているのでいまは問題にしません。「ゼロアカ道場」については、門下生たちもそれぞれがんばっているし、企画としては大成功しているといえるでしょう。*1もう黙ってようと思っていたのですが、以下記述するような視点が流通することがいいことだとは思えないので、あえて問題にしてみます。つまりここでは「ゼロアカ」そのものではなく、「ゼロアカ」を見るものたちの視線と、文学フリマというイベントが、他の「同人イベント」の中でも突出して特殊な環境にあることをこそ問題にしてみます。いまならきっと、いろいろ時効でしょうから、あえて。
 
 佐々木の記述は以下の通り。

実は、筆者もこの日、自分の事務所でブースを出していたので、「ゼロアカ」の凄さを目の当たりにしました。混乱を避けるために「ゼロアカ」は入り口が別になっていたのですが、朝から長蛇の列が出来ていて、開場時間になるなり大量の客が押し寄せてきました。「ゼロアカ」効果もあってか、通常の「文フリ」の来場者も前回より多かったと思うのですが(おかげで筆者のブースでも結構売れました)、それでも一つのアイテムが三桁も売れたら大成功という程度です。「ゼロアカ」はその五倍、しかも出品しているのは、いわば「素人異常、批評家未満」の、書き手としての知名度や評価はまだまだこれから、という方々です。しかし現実に次々と「ゼロアカ」のブースからは「五百部完売!」の拍手が巻き起こり「文フリ」の会場は一種、異様な興奮に包まれていきました。いつのまにか「ゼロアカ」とは直接関係のない我々までが一緒になって拍手して(笑)、栄えある通過者たちを祝福していたほどです。

 ゼロアカの入り口が「別」だったかはともかく、さてさて、このような「ゼロアカ」を中心に「一種、異様な雰囲気」に包まれる、という、ある種テンプレートな08年度文学フリマの雰囲気の記述は「文学フリマ事務局通信」で紹介されたような各種レポートやら、あるいは門下生や道場破りたちの原稿を抄録した『文学フリマ決戦!』などの文章などからも伺えます。当日、会場にいた僕にとっても、それは「嘘ではない」。けれども、真実でもありません。
か考察しようと思います。
 

秋葉原市庁舎

 まず、会場である秋葉原市庁舎の図を把握しましょう。

一階A列


二階B列

 まず、「会場の長蛇の列」とは一階、受付前階段の手前から並んでいたお客さんたちをいうのでしょう。事実、サークル入場時刻にも関わらず陸続と文フリ目当て(ゼロアカ目当て含む)のお客さんがやってきていました。しかし、文学フリマゼロアカ道場の会場は2Fです。「B」並びのサークルがある下端、つまり階段を上がって右側奥の空間が「ゼロアカ」の空間であったわけです。文学フリマ開場直後には、まず望月氏によるスピーカー越しの挨拶があり、続いて、東浩紀と当時講談社ファウストの編集長をしていた(はず)太田氏によるアナウンスがありました。
 さて、開場がはじまるなり、なだれをうって、お客さんたちは会場に飛び込んできました。



 二階に。



 しかし、二階はあっというまに人で埋め尽くされ、階段からはみ出るのほどの行列ができました。そして、行列に並びきれない人達が一階を回り始めました。そして、五百部完売の声が最初にかかったのが『最終批評神話』つづいて『ケフィア』……以下の流れはまああちこちでログられているのでいちいち書きませんが、そうした状況がたしかに、祝祭的で、今にも何か変わりそうな「ある種異様な空気」をかもし出していたのは間違いありません。
 佐々木敦氏の事務所はB−45「HEADZ」で、当時「アラザル」という同人誌を出していました*2。図を見ればわかるとおり、ゼロアカ道場組の向対面にブースがあります。



 二階に。
 


 ということで、以上行われていたことは、ほぼ「二階」の状況でした。その時の壮絶な(?)有様はむしろ講談社BOXの公式HPの写真が物語っているでしょう。適宜ぐぐってみてください。しかし、一階の階段そばにブースを出していた僕たちは、二階から降りてくる一人の人影をみました。ゼロアカ道場の〆切時間直近に、門下生の藤田氏が本をもって二階から一階に下りてきたのです。彼がなぜ一回に降りてきたのかはよくわかりませんでしたが、その瞬間の一階は、二階の異常なまでの盛り上がりとはまったく別の空間、静まり返った奇妙な静寂を感じさせる空間であったことを「発見させられ」たのでした。


  そのとき僕は恐怖を感じました。奇妙に聞こえるかもしれませんが、誰もいない一階と、みんなが騒ぎ立てる二階、という構図が、何かもっと、文学フリマや文学や、そうしたものだけではない、とても大きな事態を象徴しているように感じたのです。

 
 たぶん続く。

 

*1:最後に村上氏の本が出版され、それがさらなる批判や反応に耐えて大成功「した。」といえるかもしれませんが。

*2:現在はVOL2.VOL3が12月にでるそうです。ただ、ちょっとお行儀が悪いところですね。