高円寺ラプソディー

  • 高円寺は不思議な町だと思う。いままでそんなに縁がなかたのだけれど、ぷらぷらと歩いてみてそんなことを思った。
  • 中央線沿線文化、というのがあるような気がする。新宿から伸びる長い線路を抜けて、「中野」という駅についたときに感じるなんともいえない泥臭さ、あるいは、新宿にいるときに漠然と感じてしまう、高いビルに囲まれている不安感。ビルのほうこそが地面で、自分たちが空に浮いているのではないかという錯覚。新宿では、体が浮かんでいるような気持ちになる。
  • 中野の人ごみは、なんとなしに暖かい。雑多な商店街を抜けて中野ブロードウェイに入る。何も考えていないようなごちゃごちゃした場所に、どうでもいいものをどうでもよさそうに売るマニアックな商店が立ち並ぶ。タコシェをめぐるのもいい。エアガンを見て回るのも、いい。
  • 中野の隣が、高円寺だ。
  • 高円寺には「駅中」がない。「駅ビル」もない。ただ町並みがぬめりと広がって、ロータリーがごろりと駅の左右に横たわっている。巨大ななまずのように。そのなまずをよけたさきに、さまざまな商店がたちならぶ商店街がずらりと並んでいる。
  • その日、僕はある人と約束をして、高円寺のサンマルクカフェで時間をつぶしていた。Mサイズのコーヒーをいっぱい飲み終わる間に、隣の席の人は二人入れ替わった。
  • 一人目の女性は、乱暴にシュークリームをほおばると、おもむろに白いノートを広げて一心不乱にイラストを書き始めた。何かに乗り移られたかのように、あるいは神事に狂う巫女のように必死でペンを走らせていた。踊りでも踊るかのようにリズミカルに、色ペンを重ねていく。
  • 何がかけたのか、僕はついに見ることができなかった。人をまつという味気ない時間までも色彩で塗りつぶすようなそんな激しさをもって絵を描くひとを、初めてみた。
  • 彼女がふらり、と出て行くと、十分もしないうちに別の女性が隣に腰掛けた。大柄なその人は、先の人と同じように花柄のかばんから、ノートを取り出した。
  • 五線譜。
  • それこそ何もない場所に音を響かせるように、その女性は体を揺らす。自らの身体がこそ楽器であるかのように、しかしその機能を誇るでなく、何を奏でるわけでなく。
  • 狐につままれたような気持ちになって。僕は外にでた。雨が降っていた。
  • アーケードの下をふらりと歩きながら、さきほどあった二人の女性が、高円寺という場所を体現している、不思議な相関を思った。芸術家たちが隠れ住む町。アーティストと職人が遊ぶ町。
  • 管野ようこは「大人が本気で遊ぶとすごいんだぞぉ」といったが、そんな本気の遊びをする町なのかもしれない。
  • その日あった、ある人が仕事をする場所も、オフィスではなくて、なにか雑多な遊び場――いや、隠れ家みたいな場所なんだろう。
  • そんな話もしつつ、ラスプーチンの次の舞台は高円寺でも阿佐ヶ谷でもなくって、ネットラジオである。
  • 写真は、高円寺。