秘密結社ソドム

  • A5、コピー誌のホチキス留め。125ページ(最後のページが3となっている。誤植か?)表紙は銃口で自分を撃とうとしてる女性。秘密結社ソドムの文字。Secret Society SodomでSだけ赤文字のグラデ。裏表紙はなし。
  • もちおかだいちによる詩「リビングルームの定刻」「胸像」。佐倉直己による小説「ドール・アンド・バタフライ」。DieSixxによる評論「松本人志大日本人』を肯定する」の三本立て。ページ数のとおり読み応え抜群である。
  • 詩はやはり『少女症』を読んでしまったあとだとかなり印象があれだけど、そんなに嫌いではない。暗さと激しさを兼ねる作風であるけれど、言葉の、イメージの飛躍が少ないような気がしてなにかもたもたしているかもしれない。
  • 小説は、人形偏愛を軸としたミステリィ押井守の「イノセンス」を思い浮かべるのは僕だけじゃないだろう。悪くはないと思うし、いかにもこの「秘密結社ソドム」という名前らしいダーティでアンダーグラウンドな作品だけれども、通俗的すぎる興味(写真の持ち主探しという物語り構造とか、全裸の女性と人形のアナロジの文章とか、)と人形に対する偏愛というモチーフがミスマッチな感じがした。けど後半の進ませ方はけっこう好きになれそうだ。
  • 評論が一番面白かった。シンプルにいえば「映画版ごっつ」と評されがちな『大日本人』をショウビズ化した戦争のアナロジーと、それを見る観客という二重構造を重ねさせるという読解である。まぁ首肯できるが、この論旨を考える戦争のアナロジーという社会批評的な視点が今日どれほど有効なのかは正直よくわからない。『大日本人』という「あらゆる局面から読解を誘惑する」作品を読み解くだけでは、結局現代的な趣味と興味の批評の再産には役立つだろうけれど、社会批評的な解釈ができるか否かの、つまり面白いか否かの水掛け論の回転を加速させるだけだろう。
  • 大日本人』は実はまだ見ていないのでなんともいえないが、この評論を読んでみる限りでは、メタフィクションとメタレベルの舞台設定との相互の言及は明らかに社会批評的な批評を要求する類の、語りつくされた語り方のようにも見える。
  • 松本人志の作家論みたいにするのはおかしいので言い方を少し回りくどくするが、いわば「おこりえないシチュエーションで、フェイクドキュメンタリーを語ること自体が、それをメタレベルにおいては現実のアナロジーとして読まれることを期待される作品」ではないだろうか。
  • つまり、この評論の作品読解は、実に『大日本人』が要求する読解構造を丁寧に追った物であり、普通に読んだらそう読める。という普通の、だが正しく作意を見抜いた評論であって、それ以上の何かを『大日本人』からどうやって受け取るかを模索した評論なのではないだろうか。
  • でも面白かった。『大日本人』みたくなった。言及した作品を見たいと思わせるのは間違いなくいい評論なのだ。