この夏! 親戚たちが異様に熱い!

 ポスターの文句がふごいことでも有名な、細田守監督『サマーウォーズ』を見てきました。


 おせえよ! っていうツッコミはやめて、やめてええ! この作品、文芸サークル左隣のラスプーチンっていうかうちらの中でも評価は真っ二つです。*1サマーウォーズ』のあらすじは公式サイトでも見てもらえばOKですが、なかなか面白い問題も含みつつ、ちょこちょこと考えさせられることもありました。友達や恋人や家族と一緒にみて、帰り道で映画について興奮しながら語り合う。そういう、いい映画でした。


 いやー、すげえよかった!!



 OZやアバターのデザインはかわいらしくて誰がみてもいやじゃないし、現実世界の描き方もすごくよかった。
 夏樹かわいいし、アバターの変身シーンもよかった。健二の挙動不審っぷりもかわいげがあってよかったし、家族がたくさんいるのにみんなちゃんとキャラが立っていてよかった。花札のシーンも。(いや、冷静に考えれば花札やってるだけなんですけどね)。いささか「使い古された」表現やガジェットが頻出するのも、あれやこれや意図があるんでしょうが、僕は素直に楽しめました。

 演出もよかったですね。夜宴会でみんなで大騒ぎをするシーンを、カメラを庭において室内を眺めて構成し、翌日の「悲しいこと」があったときは、室内から、突き抜けるような空の青さと、室内の暗さを対比させていきます。朝顔の鉢植がどうしてあそこにあんなたくさんあったのか、夜にはわからなかったけれど、翌日になると明確にわかるという仕掛けもよかったです。
 いろんな仕掛けが随所にほどこされてあって、でもテンションはがんがんにあがっていく熱い展開に目が離せない。また見に行きたいなー。


 しかし一方で、アンチの立場をとる人の気持ちもわからなくはなかったです。いろんなところに瑕がある。個人的にきにかかったところを書いておきます。



 まずOZというシステムがインターネットのメタファーにはなりえてないし、なりえない。システム上の欠点をあげつらうのは揚げ足取りみたいでなんですが――OZは「セカンドライフ」的なアーキテクチャ設計をイメージしているように見えるけれど、メールから社会のインフラまですべてカバーするにはあまりにも不便すぎるインターフェースではないか。



 また、OZの利用者10億人は少なすぎるのではないでしょうか。コミュニティも400万といいますが、これも少なすぎるのでは。
 『サマーウォーズ』には、明確にそう表現されてはいないけれど、ひとりにつき1アバターという利用形態が標準化されているようです。むしろ、万作がアバターを「俺たちの命だ」というところはありましたが、現実の身体とアバターが等価に扱われているような感じは受けました。
 インターネット、というより電脳空間における、2chの「おまえら」のような不在の身体が無名、匿名、あるいは有象無象のような大量の不明瞭がこの映画には描かれていない。まだ.hackのほうが其の点は評価できるかもしれませんが、この世界の「ネット」はあまりにもキレイすぎる。



 また、利用者10億人という数字が意味する、OZにアクセスできない残り40億(ぐらいいるんでしょうたぶん。)の世界は、この映画のなかでは存在しないことになってしまってはいないかという疑問も呼び起こします。。世界、という言葉を使うたびに、そうした想像力――遠い場所で表象を受けることができないもの――の想像力としての欠落は、どうしても感じてしまいます。
 が、これはないものねだりってことでwwww

 
 興奮のあまり、その日のうちにノベライズも二冊買っちまいましたよ。



[ノベライズ]サマーウォーズのノベライズ二冊。

 角川文庫版と、角川つばさ文庫版。角川つばさ文庫はほぼ映画のとおりですが*2、角川文庫版はライトノベルを中心に活躍する作家、岩井恭平によるいくつかの改変があります。


サマーウォーズ (角川文庫)

サマーウォーズ (角川文庫)

「テンション」という点では映画のほうに軍配があがりますが、合理的に考えてその選択はしないだろうというシーンがいくつかあったのをおぼえています。



 たとえば、健二がラブマシーンに戦いを挑むことを提案するシーン。映画版では唐突な印象をうけますが、ノベライズではこう書かれています。

「だから、その……こっちには開発者がいて……もういないけど……キング・カズマがいて……なんていうか、あの……他の人たちよりも、武器がないわけじゃ……」


 映画では、ほとんどその場のノリ*3で行き当たりばったりな提案をしていくように見える健二は、より冷徹な戦略家*4として描かれ、ラブマシーンのAIも「知識欲」から「進化」を目的とするものとして描かれます。
 各章ごとにもOZ内部を書くときは「LOG IN」のマークアップがあり、ほかに細かいところも親切な工夫があれこれあるのですが、ネタばれになるので割愛。すでに微妙なネタばれがあるけど、気にしないでください。
 
「いくつかの改変」を見ていくと、映画が切り捨ててしまった要素に改めて気づかされることがたくさんあります。岩井の作品読解能力は――みじかい期間で書き上げるということも含めて、極めて高いものと評価します。
 つばさ文庫のほうは、映画に忠実なノベライズではありますが、OZ内と現実とがごっちゃになって書かれているところがしばしば目に付き、シーン中何が起こっているかよくわからない表現も見受けられます。原作の忠実度でいえばより高いのはつばさ文庫版ですが、これでは小中学生でも混乱するでしょう。

 というところで今日はおひらき。

*1:ってか見に行った人が三人しかいないんじゃないか説もありますが、気にしなくていいっす。

*2:ただし、かなり恣意的な心理描写が入ります。

*3:っていうといいすぎですよね。

*4:というといいすぎかもしれませんけれど。