• ということでですね。そろそろコンテンツが集まりつつあるので、ちょっとだけ紹介したいと思います。
  • 僕たちの雑誌が目指すのは「文学に縁が薄い人たちに薦める文芸誌」ということで、別段テレビドラマとか漫画雑誌とか商業雑誌でやればいいようなことをだらだらやるつもりはそんなにないんですが、それでもある程度売れないとゼロアじゃなかった。ええ、みんなに申し訳がないんですね。
  • で、大好評だったインタビュー、今回は二人の人に登場してもらいました。

市川真人
早稲田文学編集長>>>>ギャンブラー>>>>フリーライター>>>批評家


石原千秋
近代文学研究者>>>>>文学好き>>>>>>早稲田大学教育学部教授
のお二人にいろいろ聞いてきました。インタビューのタイトルは「シ的世界のインターフェース」

  • 内容は乞うご期待。そのうちちょっとだけ動画もあげるけれどもね。ついでに、旧オオガラス*1メンバーによる、放談も併載です。
  • お二人へのインタビューを通して得られた最大の収穫は、文学と教育という問題に、文学の側から接近して考えることが可能だってことの確認だったかもしれません。
  • 双方への話題は多岐にわたり、聞きたいことを聞けるだけ聞くというスタンスで突っ込めるだけ突っ込んだ結果、文学と教育、社会とのつながり、死者への言葉、あるいは雑誌の可能性など、もう面白い話題でいっぱいです。
  • でもとりわけ「国語」との出会いと別れが、文学の外側にいる人たちへ、あるいは私たちの文学原体験との公倍数になりうることの確認ができたことで、文学と人とのインター(入り口/間)を設定しうる可能性が一瞬見えたことが面白かったです。
  • 国語は文学じゃない。といいはるのもいいですが。
  • 普通の人にとっては、そうではないのです。理科の知識が「理工」のイメージであるように「社会科」でうけた想像力が「社会科学」のイメージであるように。あるいは名前もよくわからないほかの学問領域を教科で文節してしまう悪い癖が、僕たちにはあるように。
  • とりわけ、同人のK君が現役の、しかし駆け出しの国語教師として問題意識をもち、総合雑誌化する国語教科書という観点から石原先生に質問を投げかけたことで、質の高い議論が収録できたと思います。
  • 文学という古ぼけて、でもかすかに強力な磁場を持つ場所があることをみんなに知ってもらえるだけでも僕はシアワセっす。

補足。

  • 今号もいろいろ出てきました。芥河圭一の漫画はさらにパワーアップして帰ってきますし、デザイナーも迎えてワークフローも整備しました。まだ原稿でそろってないけどね!! それから、こっそりゲストも呼ぶ感じです。またいろいろ確定したら、掲載しますわ。


では、今日はこの辺で。

*1:オオガラスについてはまた別の機会に。