野球美術と、ながさわたかひろの日常における芸術 

  • ながさわたかひろ展「プロ野球ぬりえ2012〜魔球の伝説〜」

 日米両国において、野球はもはやスポーツである以上の意味を持ってしまっている。殊、アメリカにおいて野球は、まさしくアメリカ固有のスポーツである、という意識の下に、アメリカ史と野球史とは分かちがたく結びついており、ひとつの独立した文化として「野球」がある、と言ってしまってもいいだろう。ゆえに、アメリカにおいて野球と美術(もちろん美術にかぎらず、文学などでもそうだ)は、ごく自然に出会い、さまざまな作品を生み出し続けている。


 過去の有名な作家であれば、ウォーホルは“Pete Rose”(1985年)を製作し、ラウシェンバーグも野球に関するコラージュ調のリトグラフ作品“Rank”(1964年) を残している。あるいはそこまで有名でなくとも、ほぼ野球の絵画をひとつのモダン・アート、コンテンポラリー・アートとして描き続ける作家もいる。例えば、ジェラルド・ガーストンという作家は、バットやストライプのユニフォームの直線性と、人間や野球帽の丸さを表情豊かにシンクロさせ、野球が円運動と直線運動によるスポーツであることを思い起こさせる作品を作り続けている。また作品単位で言えば、ミカエル・ランゲンシュタインの“Play Ball”(1982年)も素晴らしい。ミケランジェロの『天地創造』の中央部、アダムと神が手を触れ合わせる有名な部分を、神の手からアダムに野球のボールが手渡されるように、描き込みを加えたものだ。神から人間へと野球ボールが渡されるその様は、審判から投手へとボールが手渡される情景を想起させる。まさしく「プレイボール」そのものである。

 また、各種野球系コンベンションにおいて、アート関係のパネルが開催されていることも多い。今年の6月末に行われたアメリカ野球学会(SABR) の本大会においても野球と美術に関する分科会が設けられており、また7月の第三週末に行われたニグロ・リーグ・カンファレンスにおいてはアートコンテストが行われ、プロ部門、アマ部門、ユース部門の三賞が与えられた。プロ部門での受賞作品は、ダリル・シェルトンによる "Memories Locked Away in a Drawer"。ジョゼフ・コーネルのシャドウ・ボックスを思わせつつも、外箱を子どもが使うような古びた引き出しの形にし、中には注意深く、かのサチェル・ペイジの写真や、彼の背番号25が入った野球場の席を思わせるミニチュアの椅子などを配置することで、輝かしくも質素な、過去のニグロ・リーグを偲ばせる作品だ。


 前置きが長くなった。このようにアメリカでの美術と野球の結びつきは、かくも長く、深いものである。

 しかし日本ではどうだろうか。野球好きの美術愛好者が、美術作家として知られている作家が野球を意識して製作したものを、挙げることができるだろうか。イラストレーションや野球場のレリーフとして飾られているような作品以外で、つまり「野球」という場を離れて、権威づけられた「美術」という制度の中で評価されるような作品として、野球にまつわるものは、今まであっただろうか。昭和史における稀代のアイコンである長嶋茂雄を扱った作品の一つや二つ、あったとしても不思議ではないのに(アメリカでは、ベーブ・ルースに関する作品は山ほどある)、そういった類のものは、彼が豪快に三振をしたときの有名な写真以外(それすらも、「美術」の中で評価されているのを見たことがないのだが)、全くといっていいほど見当たらない。

 だからこそながさわたかひろは、そのようなアイコンこそ使わないものの、真に野球と美術の接点となろうとする作品の制作者として、日本における野球美術の嚆矢となるはずなのだ。


 ながさわたかひろ展「プロ野球ぬりえ2012〜魔球の伝説〜」で展示されている作品は、2012年の東京ヤクルトスワローズの公式戦全試合およびクライマックスシリーズ全試合(さらにはヤクルトが参加していないCS2ndステージ、日本シリーズも)を、ペン画として製作した作品群だ。試合の中での幾つかのポイントになった瞬間を選手の動きを中心に描き、それらを画面上に構成してゆく。構成は必ずしもきちんと時系列に読めるようにはなっていないが、試合の結果と流れをきちんと把握できるよう、巧みに組まれている。選手たちの野球の動きは力強く描かれ、ながさわの画力の高さが十分に伝わるものだ。そして、さらにこれらがアメリカの野球美術と比べても特異なのは、一瞬を切り取って一つの作品に仕上げていくだけではなく、一試合ごと(あるいは同チームとの一連戦)を一枚の版画、ペン画にしてゆき、それを「すべての試合」で行なっている、という点だ。

 ラウシェンバーグは自らの作品制作を、「芸術作品をつくることではなく、芸術と生活の橋渡しをすることだ」「芸術も生活も作ることはできない。われわれは、その間の、定義しようのない空隙で仕事をしなければならない」と述べている。 ながさわにとって、ほぼ毎日行われるプロ野球の試合とは、まさしく日常生活の一部であり、ヤクルトというチーム、一場靖弘という選手への愛情(ながさわは、一場が楽天からヤクルトへと移籍したときに、自身も「移籍」した!)によって、毎日を生きていく中で、大きなウェイトを占めるものにすらなっている。彼の作品はラウシェンバーグの言葉通り、ある種の制度の中のものとしての「美術」ではな く、「芸術」という本来的に定義できない曖昧なものと、彼の実際に生きるリアルな日常生活とにまたがり、その間を埋めるようにして制作されていると言えるはずだ。

 野球がアメリカにおいて、一番人気のアメフトを差し置いて未だに「National Pastime(国民的遊戯)」であり続けているのは、野球が長いシーズンの中でほぼ毎日行われている、ということと無関係ではないだろう。世の中には、夜のニュースにプロ野球の試合結果がないことで、やっと今日が月曜日であったことを確認する人も少なからずいるのだ。そのようにして日常生活に寄り添う「野球」という、ほぼ毎日行われるという点で他にあまり類を見ないスポーツを作品の中心とすること は、日常と芸術をつなぐのに最適な主題を選んだ、ということなのであり、そして現在、「日常としての野球」 を世界で最も端的に扱う美術作家こそ、ながさわたかひろなのだ。


 ながさわのこの作品群の制作が「日常」のものであることは、画面の上からも見て取れる。シーズン開幕当初は、去年までの流れを引き継いで(去年までは版画作品として制作されていた)色のついていないものだったが、4/17からの阪神三連戦からは色がつくようになっている。去年は版画、今年はペン画と、違うことをやっているのだから、という意識もあったのだろうが、ここがやはりひとつの転機だったのだろう。その直後からは、ヤクルトも引き分けをひとつ挟んでの六連勝、ながさわの絵にも勢いが見え、ヤクルトの選手が画面で占める割合が、心なしか大きく見えすらする。また交流戦に入っての5月半ばから、ヤクルトが極端に調子を落とし、12戦連続で勝ちがつかない事態にまで陥ったときは、画面に描かれる選手たちの数が極端に減り、左右に多少の空白を設けた、見様によってはスタイリッシュともとれるような構成になっている。しかしこれは画面の構成を意図して変えた、というよりは、ながさわのテンションが落ちた、と見るほうが正しいだろう。

 作家にとって作品は、安定して作られるのが良いわけではない。殊、この作品群のようにある意味日常を転写していくような作品の場合、日常の中でのゆらぎがどのようなものに起因しておきていて、それが作品にどのような影響を与えているのかを、作家本人が理解した上で、その不安定さを見せてゆくことも必要であるはずだ。その意味で最も示唆的なのが9/16の、ながさわの父親が倒れ、急遽実家に帰ることになったことによる「戦線離脱」の日だ。奇しくもカープとの激しいCS出場を巡る争いの最中、ヤクルトが調子を上げてきた(9/14からヤクルトは六連勝、9/15からカープは七連敗)、ながさわにとってもヤクルトにとっても、非常に大事な時期だ。9/17は月曜日、本来はプロ野球も休みのはずの日なのだが、この日は敬老の日であり、試合が開催されていた。しかも9/17からの相手はカープである。つまりCS出場をかけた、天王山的な試合でもあるのだ。ここに意味を見出すのは野暮かもしれないが、しかし結果的に、「いつもと違う日に、いつもと違うことが起きた」ということを感じさせずにはいられない絵となっている。

 この対広島三連戦の一枚絵は、左側に16日深夜に実家からの電話、及び帰郷の様が、中央部に17、18日の試合の様子、右側上部に9/19日、ながさわの父が亡くなり再度帰郷の道中、東北道でこの試合のラジオ中継を、ノイズ混じりの広島RCC中国放送を聞き、またその下部に当日の試合の模様が描かれている。17、19日の試合分には色がついておらず、この時期の忙しさを思わせる。また次の対戦カードである対巨人三連戦、この一試合目に巨人は優勝するのだが、その日に行われた、巨人ファンであったながさわの父の葬儀の様は、その上部に描かれている。

 注目すべきは、画面の中でのながさわのあわてぶりや、色のついていないことからの忙しさは伺えるのに、筆致が相変わらず安定していることだ。これは、ながさわが毎日、来る日も来る日もヤクルトの試合を描き続けてきたことの成果のひとつに間違いない。この日々の積み重ねによる安定した筆致と、心情の揺れ、忙しさ、そういうものとのアンバランスさは、これだけ大量に並べられたプロ野球の絵の中に、ある人物の家の問題が突如放り込まれたことのアバランスさと相まって、なんとも言えない不気味さを感じる。しかしこれを描いたことは、決して失敗などではない。むしろこのことは、この作品群が単なる東京ヤクルトスワローズ公式戦全試合のジャーナル的なものではなく、そうであると同時に、ながさわたかひろという作家個人と密接に結びついたものである、ということを宣言するために必要不可欠だったはずだ。日常=大きく変わることのない毎日に、突如侵入してきた「父親の死」という非日常、その侵入者たる非日常は、全体から見るとアンバランスで、「不気味」に見える。

 一昨年、去年、今年と続いてきた中で、ながさわが野球以外のことを描いたのはこのことのみである、という事実は、「日常」に突如侵入してくるものというのは、それだけ大きい変化をもたらすもの以外にはありえず、またそれだけプロ野球の日々の興行というものは、何事にも動じず、確固として続いてゆくものなのだ、と作家が信じていることを教えてくれる。プロ野球という確固たる日常に侵入してきた、非日常的な「不気味さ」が際立っていることによって、またその不気味な非日常がきちんと「プロ野球ぬり絵」の中に描かれていることで、不気味ではない、普段通りのプロ野球が、ながさわにとって、非常に高い強度を持つ「日常」であることが確認できるのだ。



 ながさわは自分がただのヤクルトファンではなく、ヤクルトの 「選手」として、作品を制作し続けている、と言う。プロ野球「日常」として扱うのであれば、彼は全くもってそのとおり、間違いなく「選手」なのだ。プロ野球選手とは野球を飯のタネにする者であり、野球をプレイすることで日常を生きるものである。野球をプ レイする、という言葉を、競技者として球を投げ、打ち、捕るということだけでなく、もっと大きく捉えるのであれば、ながさわたかひろもまた野球をプレイし ていると言えるのかもしれないのだ。つまり、プロ野球が日常であり、その日常に積極的に参加するものをある意味で「プロ選手」というのであれば、ながさわたかひろは まさしくその意味において、「ながさわたかひろ選手」なのである。選手が戦線を離脱するには、それ相応の理由が必要であり、それはきちんと描かれなければならなかったがゆえに、今年の絵の中の、あの特異な一枚は必要であったということは、繰り返し強調しておこう。



 プロ野球は日常である。一試合ごとに一つの区切りがあり、一シーズンごとにまた大きな区切りがある。ながさわは、一試合ごとあるいは一連戦の単位毎に作品を区切り、一シーズンごとに作品を区切る。だがそれは、地球に生きる生命のライフサイクル、24時間、一年という区切りがあるのと同様だ。その区切りの積み重ねが日常であり、「生命」なのだ。

 ながさわたかひろの、生活と、野球と、美術とをつなごうとする壮大な画業は、ながさわが選手「生命」を続けていく限り、今後も続いていくのだろうし、その軌跡そのものが「野球選手としての芸術家」のあり方を見せてくれるに違いない。(かつとんたろう)

  • ながさわたかひろ展「プロ野球ぬりえ2012〜魔球の伝説〜」

会期:2012年11月17日(土)〜12/15日(土) 12時から19時 ※日月休
場所:ギャラリー eitoeiko
   〒162-0805 東京都新宿区矢来町32-2  
   Tel.03-6479-6923
   http://eitoeiko.com/